現在自分がダイビングの取り組んできたログのオンライン化を進めている。とあえず トップページのダイビング経験のリストだけはついさっきできた。
結局自分のダイビング経験は公式には 233 本にとどまる。17 年近くダイビングをやっていてこの本数はかなり少ないと言える。師匠の元で働かせてもらっていたときの記録に残っていない本数を入れると、たしかに師匠の言うように 1000 本近くは行っているかもしれない。でもそれを証明する手段はない。
この一覧をまとめてて思い出したことがある。いや、思い出したと言うより、今になって気がついたのかもしれない。
家族の反対を説得できずに開業を断念して、潜ることができなくなったと、ついさっきまで、そう思っていた。この一覧をまとめるまでは。でもそうじゃなかった。この一覧を作っていてそのことに気がついてしまった。
できれば気が付きたくはなかった。
"#206 1999/03/21 和歌山県串本町 住崎" から自分を見限り始めて "#221 1999/07/25 和歌山県南部町 Wアーチ" で完全に見限った。見限ったから潜れなくなった。だたそれだけだったってことに気づいてしまった。
周囲の人たちは変わらずに手を伸ばしていてくれた。なのにおれは、おれは差し伸べられている手を握り返さなかった。握り返せなかった。自分のダメさ加減にうんざりしていた。先が見えない長いトンネルの中に、ずっといるような気分になっていた。自分はもうだめだと思っていた。
自分はインストラクターになりたいわけじゃなかった。自分は師匠のように自分の力で安全に潜ることができる自立したダイバーを多く育てたかった。インストラクターやダイブマスター、アシスタント・インストラクターも雇えるようになって、彼ら彼女らの生活を支えるような人間になりたかった。やりたいことがあった。
でもそのためには自分自身がまずはダイブマスターになって、そしてインストラクターになる必要があった。ショップを開業する必要があった。自分にはなにもかもが不足していた。
ダイブマスターコースを受けていたある日、そこの店長がまるで独り言のようにポロッと自分に言ったことがある。
「たぶん今 ITC を受けたらインストラクターになってしまうと思う。だけど、あんたの場合は目標がダイブマスターやインストラクターじゃなくてその先にある。だからまだぼくたちの持ってる必要な全てのノウハウのぶち込む必要がある。今ダイブマスターにするわけにはいかないんだよな」
でもその通りだと思ってた。仮に気の迷いが生じて、うっかり ITC を受けてしまって自分がインストラクターにでもなってしまったら、自分がショップを開いてしまったら、お客さんを海で殺してしまいかねない、そう思っていた。まだそうとしか思えなかった。
他のアシスタント・インストラクター候補生、ダイブマスター候補生が次々の認定されていく中、自分が認定を受ける見通しは、まったく見えなかった。目標設定が違うから。ダイブマスターコースを受けていたショップの店長と同等にならなければならなかった。師匠と同等にならなければならなかった。でもそれは、まだとても遠かった。その背中すら見えていなかった。
疲弊していた。疲れていた。
そんななかで、自分自身を見限るようなことを、自分はやらかしてしまった。事故なんかにはならなかったし、状況からなりようもなかった。でもあのとき自分を許せなかったし、こんな人間がショップの開業どころかインストラクターなどになってはいけないと思った。だから自分を見限った。見限らざるを得なかった。
だからやめてしまった。自分をあきらめてしまった。
そして恐らくダイビング自体をあきらめてしまった。
レジャーダイバーに戻ることなんてできなかった。
ダイビング自体をやめるしかなかった。