:
EAN : | % |
PO2 : | |
MOD : | |
ERD : |
:
Used Diving Computer
PD
PD+
(a)MDT
(a)MDT
D
STOP | |
ANT | |
ADT | |
TNT |
Name | Age | Gender | Bar. | Note | |
---|---|---|---|---|---|
Start | End | ||||
I.さん | male | 190 | 10 | PADI Assistant Instructor Candidate | |
N.さん | 180 | 10 | S2 Club のお客さん | ||
Notes:
なぜかエア消費が激しく、真っ先にエア切れ。人生初のエア切れ。グループ内で自分が真っ先にエア切れを起こすという自体を想定していなかった。ぼくがダイブマスターやその先に進むことをやめるきっかけになったダイビング。
注: 以下長くなります。
このダイビングでは自分がガイド役で PADI アシスタント・インストラクター候補生の I さんがアシスタント。指導インストラクターの J.N. さんがゲストの N さんのバディを務めるという布陣。ポイントは慣れ親しんだ住崎ということもあり、リラックスしたムードだったと思う。思うんだけど記憶にない。
なぜかエア消費が激しく、真っ先にエア切れ。人生初のエア切れ。しかも住崎で。さらにはいくら指導インストラクターが彼のバディだったとはいえ、ゲストを水中に置き去りにして緊急浮上するというとんでもない行動を取ってしまった。その衝撃から他の全てが記憶から消し飛ぶことに。
自分のエア消費が異常に早いことに、途中から気づいていた。ゲストの N さんや、そしてもちろん指導インストラクターの J.N. さんは、そんなにエアーを消費しているわけではない。アシスタント・インストラクター受講中の I さんもやたらエア消費が早めだった。前日からぼくたちは普通に過ごしていていたし、なにかストレスを感じたり睡眠時間が足りないというようなことは一切なかった。体調も普通で特に体調不良ということもなかった。エア消費が異常に早くなる要因は見当たらなかった。ぼくたち 2 人に何が起こっているのかわからなかった。
ぼくたち 2 人のエア消費が異常に早いことに気がついてからは、どう理由をつけてグループ全員を安全停止、浮上というプロセスに持っていくかということで、頭の中は一杯だった。どうすればいいのかわからなかった。こんな事態は想定していなかった。メンバーのエアと安全の最低限の確認をするだけで精一杯だった。まともにガイディングもできずに時間だけが過ぎていった。
まともな対処方法を思いつけないまま、その時が来ようとしていた。その時がくる少し前に全員の残圧を確認する。ゲストの N さんも指導インストラクターの J.N. さんも安全停止、浮上するだけの残圧は十分残っていた。I さんの残圧も無視できないくらいに少なかった。この時点でアシスタント役の I さんのオクトパスからエアを分けてもらう、あるいはバディブリージングでエアを分けてもらうという選択肢はなくなった。自分のゲージはすでに 0 を切っていた。水深 -15、6m であと何呼吸できるのかはわからなかった。時間の問題だった。
NDS のポラスターからのエアがまるでストローから吸うようにズルっとした感じになった。これが最後の 1 呼吸になるのははっきりしていた。
I さんの方を向き、エア切れのサインと浮上するとのサインを送り、緊急スイミングアセントに移る。水面に向かわないと、ここでぼくは溺死することになる。浮上速度はなるべく早くならないようにコントロールはした。最後の 1 呼吸が -15m あたりだったことから、途中で 1 呼吸できるかもしれないと思った。実際に水深 -4、5m 辺りでズルズルと 1 呼吸できた。助かった。
水面に達してすぐに BC にオーラルで吸気する。ゲストを水中に放置して浮上してしまったのはわかっていたので、すぐに迎えに行かなければならない。安全停止をしているかもしれないが、すぐに水面まで誘導する必要があった。しかも自分のせいで。
スキンで潜って水中の 2 人に浮上を指示することを真っ先に考えたが、一瞬でそれはないとその考えを捨て去った。ゲストと J.N. さんを探さないといけないのに、スキンで潜降するなんてあり得なかった。
I さんもぼくと一緒に浮上して、ぼくの方を見ていた。彼の残圧は自分よりは残っているはずだった。エアが残ってたらタンクを貸してくれと懇願する。残圧が 10 を切っているからこの残圧では無理だとの返答。彼も事態を十分すぎるほど把握していた。
係留ブイにつながれたそばのボートを見た。ぼくたちのボートではなかった。だけどボートの上の人影に叫んだ。
「エアー切れ起こしました!!予備のタンクがあったら貸してください!!ゲストがまだ下なんです!!」
予備のタンクはなかった。だいたい水深の浅い住崎に行くボートに、必要もない予備タンクを積むサービスはない。そんなことはわかり切っていた。でも叫ぶしかなかった。予備のタンクを探すしかなかった。
別のボートにエントリーの準備をしている別の人影があった。師匠だ!!師匠なら絶対貸してくれる、そう思ってめいいっぱい叫ぶ。
「師匠!!師匠!!ぼくです!!〇〇です!!エアー切れ起こしました!!タンクを貸してください!!ゲストがまだ下なんです!!」
師匠は背負っていたタンクをユニットごと貸してくれた。それを装着してあわてて潜降ロープ沿いに潜降する。N さんと J.N. さんはボートのロープに掴まって安全停止をしていた。ぼくは J.N. さんに近づいてスレートに "エア切れ起こしました。N さんをお願いします" とだけ書いてそれを見せて浮上した。スクーバユニットを師匠に返さないといけない。
「ありがとうございました!!無事でした!!」と師匠に叫んで、スクーバユニットをボートの上で待つ師匠に返す。
ぼくは I さんと一緒に、N さんと J.N. さんが浮上してくるのを水面で待った。ぼくは安堵すると同時に、全身が震えていることに気がついた。無我夢中だったけど、やはり最悪の事態を考えてしまっていたので震えが止まらなかった。2 人はまもなく安全停止を終えて浮上してきた。全員がボートにエグジットして袋港に帰港した。ボートが袋港に向かう間 N さんと J.N. さんは談笑していたが、ぼくと I さんは無言だった。ぼくは無言で震えていた。自分がなにをやってしまったか、わかりすぎるほどにわかっていた。
トレーニングログに、デブリーフィングの内容のメモが残されている。"エントリー後、集合時のコントロール"、"コースマップ" という文字と実際のコースマップの図だけが書かれている。書かれていることがダイブマスターコースでの引率の課題の指摘として、あまりに普通過ぎる。しかも書いたこともその内容も、J.N. さんのデブリーフィングで発せられた言葉もなにもかもが、まったく記憶に残っていない。
それよりぼくは自分がゲストを水中に置き去りにしたという事実に打ちのめされていた。水深 -15m でそのまま自分が死んでしまったほうが良かったとさえ思っていた。自分が一番やりたくないことを、自分の浅はかさ故にやってしまった。崩れ落ちそうだった。立ち直るのは難しかった。
次のサンピラのガイドがぼくでなくて、I さんでよかったと思う。ぼくでなかったのは単に順番だったからに過ぎないけど、自分がまたガイドにチャレンジするには、ことのときのダメージがあまりに大きすぎた。
J.N. さんがいなかったら N さんは事故になっていて亡くなっているかもしれなかった。J.N. さんが N さんについているからそんなことは起こるはずはなかったけど、それはたまたま N さんのバディが J.N. さんだったからに過ぎない。ぼくが仕事で引率していたのなら、N さんは亡くなっていたという確信は消すことはできなかった。
N さんのバディが J.N. さんでなく、普通のファンダイバーなら恐らくそうなっていた。そして亡くなるのは 1 人ではなく 2 人になっていたはずだった。
ぼくがオープンウォーター I を取った 1987 年頃なら大半のダイバーは普通にバディ同士で潜って、問題なく浮上してきてエグジットしていた。水中で問題があればバディ同士で解決していた。それが当たり前だった。そのための講習だった。そうなるためのショップツアーだった。
ファンダイバーは自らの安全のためにバディ同士で適切な手順で浮上してエグジットする。そんな当たり前のことはもうできなくなっている。オープンウォーターでそのように教えていても、時代はもうそうではなかった。すでにそのような時代に突入していた。
そんななか、自立からは遠い当時のアドバンスダイバーを水中に放置することはあまりに危険すぎた。恐らくレスキューダイバーでもかなり危険だ。そんななかでオープンだけで十分と無思慮に吹聴する人、継続教育なんて意味がない、ショップなんて別にいらないと無思慮に吹聴する人が激増していった時代、ファンダイバーを水中に置いてきぼりにするのはあまりにも危険すぎた。
ぼくの知る限り安全で自立したファンダイバーなんて師匠が育てた僅かな人だけだった。世の中では、もう殆ど安全で自立したダイバーなんて見かけることがなかった。恐ろしいことに多くのダイバーはインストラクターやダイブマスターと一緒なら安全だと信じ込んでいた。そんな筈がなかった。
そんな人たちが海の中でどれだけ危険なことをするか、あるいはヒヤリハットの当事者になるかは、アシスタント・インストラクターになる前から嫌というほど見てきた。見てきたから、この道に進もうと思った。もうこの道に進むしかなかった。
そして師匠と出会った。この人のようになりたいと願った。
でもこの日、よりにもよって、ぼく自身がやらかしてしまった。
たしかにこの日の夜、実際には N さんはぼくらの眼の前でビールを飲んで談笑していたのかもしれない。たしかに現実はそうだったのかもしれない。でもぼくには、ぼくがもう N さんとそのバディを殺してしまったとしか思えなかった。自分自身の愚かさに打ちのめされていた。
J.N. さんにこの日の夜、明日はダイブマスターコースではなく、ファンダイブに切り替えてほしいとお願いした。そしてもうダイブマスターコースをやめたいと言った。泣いていた。嗚咽が止まるはずがなかった。
自分が立ち直れるとは思えなかった。
どうみても慰めとしか読めないメッセージが、彼女の筆跡でリーダーシップログに残されている。
このとき、ぼくの失敗を罵るくらいに激しく叱ってくれる、あの優しい師匠は目の前にいなかった。
この日のぼくの罪を、だれも罰してはくれなかった。
ぼくは孤独な人殺しだった。
今なら、ことのき自分がどうすればいいのかわかる。ダイブマスターとしての認定はまた先に伸びることははっきりしているけれども、これは実際の引率の仕事じゃない。あくまでダイブマスターコースでぼくはその受講生だった。
ぼくと I さんのエア消費が異常に早いことに気がついた時点で、指導インストラクターの J.N. さんを呼んでスレートで相談すればよかった。ただそれだけのことだった。ゲストの N さんはこいつら集まって何やってんだ?と思うかもしれなかったけれども、N さんをリスキーな状況に追い込むよりはるかにましだった。
もしこのとき J.N. さんに相談していたら、ゲストを置き去りにして緊急スイミングアセントを行うという最悪の行動はとらなくて済んだはずだ。でもそれを自分は思いつけなかった。
それはこれまで見てきた多くのインストラクターたちが、自分でグループの問題に対処して、全ての責任を全うしていることを目撃し続けてきたことによるのかもしれない。自分もそうでなければならないと思っていた。そうならなければならないと思っていた。
もちろんそうならなければならないのだけれど、今は自分のダイブマスターになるための講習だった。講習ならばわからなくなったら訊けば良い、そういう水中での柔軟性が自分には欠けていた。それまでの別の仕事で報連相が大事だと強調していたのにもかかわらず、ぼくはそれをまったく理解していなかった。講習でこそやればいいのに、それを思いつけなかった。
また J.N. さんを呼んで相談することは別のことも期待できる。N さんへの指導効果だ。
日本人であるわたしたちはフォーメーション・システムを取っている。フォーメーションシステムを採っていても、ファンダイバーが自らスタッフを呼んで残圧が少ないことを教えたり、問題を相談したり、不安を表明して、スタッフの支援を受けながらそれらを解決することは非常に重要だ。そのような望ましい行動習慣を学んでもらって身につけてもらうことは、やはり最重要事項の一つだといえる。
実際にわたしが J.N. さんを呼んで相談しているところを実際にゲストに見せ、デブリーフィングなどでそのとき何をしていたのかを説明する。そういったことを見せて教える。それは、水中でスタッフに相談することに慣れていないゲストが、自ら能動的にスタッフに支援を求めるような行動を促す。そのようなことが期待できる。
ファンダイブの中で何かあったら、このようにスタッフを呼ぶんですよ?そして相談するんですよ?というデモンストレーションとして使えばよかったのだ。
スタッフを呼んで自身の問題の相談や、不安感を知らせる、トラブルが発生していることを伝える。そういったことは、それはそのままバディに対して応用できる。バディに自身の問題を伝えることは、バディとともに自立したダイバーになるための第 1 歩でもある。
そもそもぼくらは極論すればバディに対して払ってきた様々な注意を、引率しているゲスト全員に適切にアレンジして広げているに過ぎない。バディに対してだけなら、あなた達にもできる。オープンウォーターダイバーであってもできる。プロでなくてもみんなそうしてきた。オープンウォーターダイバーであってもそうしてきた。だからあなたにもできる。大丈夫。あなたにもできる。そう伝えれば良い。
今回のケースであれば、ぼくが J.N. さんにぼくと I さんのエア消費の問題を実際に相談し、その内容を若干アレンジしてゲストに話せばよかった。そのことでゲストのぼくらへの信頼が損なわれるかもしれない。でもそれでもよかった。
古のインストラクターたちはインストラクターたるもの神業を見せなければならない、神業を見せることで信頼を得なければならない、そう言っていた。彼らへのあこがれはあった。たしかにあった。でもぼくは彼らのようには思わなかった。
ぼくらはぼくらが神業を見せることができない未熟者であることをゲストに見せることで、充分だれでも自立して安全に潜ることができるダイバーになれる、それをぼくたちは見せなければならない、ぼくはそう考えていた。誰でもがダイビングをできるようになった今、インストラクターが神業を見せることは害しかないと思っていた。
レジェンドたちの発言の裏側には、たくさんのレジェンドたちの仲間の喪失という痛ましい話が常について回っていた。レジェンドの仲間たちがなぜ死んでいったのかを考えると理由は唯一つだった。神業を競うがゆえに彼らは危険な行為をチキンレースのように繰り広げていた。そんな危険なことをゲストに見せるわけにはいかなかった。真似させるわけにはいかなかった。死亡率の高いチキンレースへの参加者を増やすわけにはいかなかった。
そしてそれが今でも正しいと自分は思う。
インストラクターやダイブマスター、アシスタント・インストラクターと一緒であれば大丈夫という間違った幻想は、なるべく早く捨てたほうが良い。インストラクターやダイブマスター、アシスタント・インストラクターへの依存を捨てて、自分自身で水中で考え適切に行動する。そういうダイバーになるには、そのような錯覚を捨てるところが現在ではスタート地点になる。
だから目上の人間が全体の管理を行うシーンであれば、躊躇なく相談して、相談しているところを見せ、なにを相談していたのか、それはなぜか?そしてあなたたちもしましょうと奨励すればよかった。スタッフからのコミットメントを一方的に待つ姿勢は、安全上非常にリスキーでもあることを、きちんと伝えるべきだった。
今回のような自分の失敗を、指導やアドバイスのために徹底的に利用すればよかった。反面教師のような軽いサンプルにするのではくて、ダイビングの本質に迫るための題材にすればよかった。それだけの話だった。ただそこまで理解して実践するには、まだ自分はまだあまりにも未熟すぎた。