今回はタイトルの通りの内容を深堀りした話になります。
生涯の仕事として、一度ダイビングを志した人間が、いろんな理由でその道を断念せざるを得ない、という現実に直面することがあります。
こういった場合に、大抵の人は仕事から身を引いてからは、だいたいダイビングをしなくなります。ファンダイバーだった頃のように、レジャーダイビングを続ければいい、とおっしゃる人も少なくありません。これからは個人で楽しみなよ、って。
ですが、これができないんです。
しない、でもなく、しなくなる、でもなくて、できない。できなくなってしまう。
一度生涯をかけようと思っていたことから離れてしまうと、個人的なファンダイブを、まったくできなくなってしまっている自分に直面します。海が大好きで、ダイビングが大好きなことは、ぜんぜん変わらないのに、ダイビングができなくなってしまう。
自分ももともと業界を去っていった人たちが、どうして潜らなくなるのかわかりませんでした。ですが自分が断念する立場になった途端に、潜らなくなるのではなくて、潜れなくなるんだということが、わかってしまいます。
このときの気持ちを、今の年齢になってもリアルに思い出せて、今でも顔をクシャクシャにして泣いてしまうので、ちょっとかっこ悪いのですが……
まぁ、最初のうちは、ダイビングが好きだし、海も好きだし、ファンダイブに気分転換にでかけたりもするわけです。
ですが、1 本潜るごとについ思ってしまうのです。あぁ、今見てるこの風景や生物を一緒に過ごしたお客さんたちに見せたい、共有したい、って。
わたしは仕事と準仕事っぽい形で仕事をしてた (ややこしい言い方ですね) ところは師匠のお店と、ダイブマスターコースを受講していたお店の 2 店舗しかありません。
ファンダイバーとして潜っていても、あの人たちに見せたい、見てもらいたい、絶対に喜んでもらえる、って気持ちと一緒に、それまでお世話になったお店の多くのそれまでご一緒させていただけたお客さんたちの顔がブワーっと頭に浮かんできてしまう。
でも、もう自分はそういう立場にはないという現実。
自分の望まないかたちでその仕事を続けること断念せざるを得なくなった場合、ダイビングの 1 本 1 本が、まるで自分の心をナイフでえぐるような、そういったものに変わってしまうのですね。そこで気づくのです。あぁ、先に断念した人たちは潜らなくなるんじゃなくて、潜れなくなるんだって。
なので、いま一生懸命仕事としてダイビングに取り組んでいる人には伝えておきたいのです。ダイビング自体をやめたくないなら、もしもにそなえて保険をかけときなよって。
仕事として続けることを断念せざるを得ない場合にそなえて、その後のダイビングとの付き合い方を、頭の隅のわずかな部分でいいので、考えておきなよ、そうしないと潜れなくなるからって。