No.: 33
Location: 福井県越前町 玄達ノ瀬
Condition:
Date:
Activity:
1990/09/09 (San)
Temperature
Visibility
Bar.
Depth
Time
Instructor (or Dive Leader) Signature:
Air
Surf.
Btm.
Tank
Start
End
RMV
Ave.
Max.
Start
End
Btm.
Total
Diving Spot Triton
 
 
 
 
 
 
10
230
50
13.04
20.0
29.0
09:49
10:35
00:46
15:55
#9943 M.S.
m
m
m
bar
bar
ℓ/bar
m
m
 
 
 
 
 

09:49

EAN : %
PO2 :
MOD :
ERD :

10:35

PD -26m

PD+ -30m

(a)MDT 25

(a)MDT 20

D 46

STOP
RNT 00:00
ADT 00:45
TNT 00:45
Name Age Gender Bar. Note
Start End
お名前は失念 male 潜る前にぼくに、自分はエアが速いから先に上がる、あとは一人で潜っててって言った人
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

Notes:

全く人のことを偉そうに言えない、なんも考えてなかったバカなオープンウォーター Ⅰ ダイバーだった頃のダイビングの一つ。

もちろんダイビング・コンピュータなんて陰も形も無い時代。データを見ればわかるけれど、どう見てもダイブテーブルを引きようがなくて、いきなり減圧停止が必要になるダイビング。本当になんにも考えてなくて我ながら呆れ返る。こんなダイビングの真似をしてはいけない。

たしかにほとんどの時間は水深 -10m 程度の根頭にいたので減圧停止は必要なかったとは思うけれど、段階減圧だとかは NAUI ダイブテーブルでは引きようがなかったし、繰り返すけれど当時はダイビング・コンピュータなんて陰も形もなく、そもそもマルチレベル・ダイビングなんて言葉すら陰も形もなかった。

なお、当時のスタッフだったしばらく後に NAUI インストラクターになる伊納くん (仮名) は、このダイビングの途中、水中でダイブテーブルを引いていた。えらい。いや、偉くはない。インストラクターになろうというのに、ダイブテーブルを引けないダイビングを一緒にしてるなんて、どう考えても同じ穴のムジナだ (笑)

ぼくは段階減圧という言葉は知っていたけど、それをどうやって計画して、どうやって実行するのかはまったく知らなかったし、このときのメンバーにも知っている人はいなかったはず。

そんな雑で、いつ減圧症患者が出てもおかしくない身体的にどう考えても危ないダイビングが日常だった昔のダイビング。やっぱり昔のダイビングは危なかった。今のダイバーのほうがえらい……かどうかは怪しいもんだけど。危うさとしてはどっこいどっこいか。

でも彼が水中でダイブテーブルを引いているのを見て、自分もこれ以降真似をするようになった。

だって水中スレートに、もしも MDT を越えてしまった場合の、減圧停止水深と時間を記載する欄はなかったと思うし (いやあったかも)、そもそも減圧停止を前提とする計画は立ててなかった……いや、だから、そもそも潜水計画立ててないじゃん。やっぱダメじゃん、おれ。

ネットでは昔のダイバーは潜水計画を立てて潜るのが当たり前だった、とかぼくは書いちゃってるけど、大嘘やん。すいません。やってませんでした (笑)。ぼくは大うそつきです。真似しないでください (笑)

"(笑)" じゃねーよ、まったく。

それでこの頃はまだ師匠じゃなかった頃だけど、もうここでは師匠と書いちゃうけど、師匠の店ではファンダイブ・ツアーでは、フォーメーション・システムを採用したグループ・ダイビングではなくて、まだバディ・ダイビングが基本だった。この日もそう。

もちろんフォーメーションシステムなんて陰も形もなかった時代。インストラクターの役割も、今のようにまるでホンソメワケベラのようにゲストの細々こまごまとした身体的お世話をするのが役割じゃなくて、本当にダイバーを指導することが仕事だった、そんな時代。ツアーでもいろんなことを教えてもらえてたし学んでもいたので、インストラクターが本当にインストラクターだった時代。インストラクターがダイバーの尊敬を一身に集めてた、まだそんな時代。

ぼくはそんな時代を生きた人間なので、今のダイビングシーンが狂ってるようにしか見えないのだわ。

それでこのダイビングだけど、エントリー前にバディとなった彼に言われる。「おれ、エアーが人よりむっちゃ早くて、たぶん人の半分の時間しか潜れない。だからおれは勝手にボートに上がるから、それ以降は一人で勝手に潜って、みんなと一緒くらいに上がってきて」

この店ではこういうものなのか、と思ってその通り、彼がエキジットしてからは一人で潜って、みんなの様子を浅目の水深で眺めてた。

それでダイビングの後半は一人で潜ってたけど、この店ではこうなのか?ということを師匠にうっかり訊ねたところ、烈火のごとくぼくが叱られたというおまけ付きだった。この日、インストラクターは客であっても烈火のごとく叱ることがあるということを知る。

さて、玄達ノ瀬といえばハンマーヘッドシャーク!!ハンマーヘッドシャークといえば玄達ノ瀬!!だけれども、この日はまったく流れもなく、ベタ凪状態でとっても穏やか。浜富の船長曰く、こんな日は年に何度もなくて、非常に穏やかとのこと。おかげでハンマーヘッドは 1 匹も見れませんでした。

ツアーメンバーは 20 人近くいたと思うけれど、ただ 1 人だけハンマーヘッドを 1 匹だけ目撃している。なんでも玄達ノ瀬の根の岩陰に隠れるように横たわっていたとのこと (かわいい)。慌ててバディや周囲の人間に知らせたけれど、逃げられてしまって他の人も見ていないらしい。身振り手振りでの興奮ぶりが半端じゃなかった。

それでこの 1 本目のあと、水中で釣り上げた魚を船上で三枚におろして刺し身にして、持ってきたおにぎりと一緒に昼飯にしたのだけれど、ぼくは久美浜でのボート以来、ボートに酔う側の人間になってしまったので、とても口にすることができなかった。

なお、昼飯の魚を何で釣り上げたのかは、ここではとても言えない。当時でも日本国内では使ってはいけないとされていた漁具であるとだけ。え?昔からのダイバーが店主の店には、壁にどうどうとディスプレイされている?おっとそれ以上言っちゃいけない。消されるぜ?記憶が。