No.: 21
Location: 京都府久美浜町 トウグリ (Notes にて後述)
Condition:
Date:
1988/06/26 (Sun)
Activity:
Boat Fun Dive
 波: 1m
 流れ: なし
Temperature
Visibility
Bar.
Depth
Time
Instructor (or Dive Leader) Signature:
Air
Surf.
Btm.
Tank
Start
End
SAC
Ave.
Max.
Start
End
Btm.
Total
海恋 (AREN)
 
 
 
 
 
 
14
160
75
8.81
20.0
30.0
11:30
12:15
00:45
09:21
#???? S.
m
m
m
bar
bar
ℓ/(barxmin)
m
m
 
 
 
 
 

   

 11:30 

EAN : %
PO2 :
MOD :
ERD :

   

 12:15 

PD -30m  

PD+ -33m  

(a)MDT 20   

(a)MDT 15   

D  00:45   

STOP
RNT 00:00
ADT 00:45
TNT 00:45
Name Age Gender Bar. Note
Start End
K さん male
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

Notes:

初ディープダイブ。

それだけでなく、ストロボ SEA & SEA の YELLOW SUB 50 AUTO が着いた状態での SEA & SEA の MOTOR MARINE 35SE デビューの日。それまでストロボは内蔵ストロボしか使ってなかったのですが、水中で内蔵ストロボを使うと、水の浮遊物に光が反射しまくって画像が真っ白になるという悲惨なことに。なのでけっこう思い切って YELLOW SUB 50 AUTO を買いました。

フィルムはたしか Fuji Chrome を入れていたと思います。高校の修学旅行のとき以来フィルムをリバーサルにするようになってからずっと、Fuji Chrome を愛用していたので、このときも一緒だと思います。

この日のダイビングも、スプレッドシートに記録されたデータしか残っていないダイビングの 1 つになります。

前日に引率インストラクターの S さん (このときにはすでに S さんがインストラクターになっていました) の古くからの知り合いの、よそのショップさんと高速の SA で合流して、夕方に現地入りします。そして翌日ダイビング 2 本行い、その後帰阪するという、いわゆる前日発日帰りというパターンです。前夜発というには移動は早い時間に行われたので、ちょっと変わったこんな表現になります。ブリーフィングは前夜に宿で行われています。

S インストラクターの古くからの知り合いのインストラクターさんが、ブリーフィングを行います。

根の非常に狭い根頭ねあたまの水深が -3m で、そこから -40m を超えるドロップオフが続いている。-30m あたりにウミサボテンが群生しているので、それを一瞬見てから浮上にとりかかる。最大深度が -30m と深いので、-3m の根頭で大半の時間を過ごす。-30m に長居は無用。

そんな説明は受けてるのですが、肝心のポイント名や、ダイビング・ポイントがどのあたりにあって、ボートでどれくらい時間がかかるのかの説明がありません。

当時ぼくは何も考えてないオープンウォーター I ダイバーだったので、S さんに付いて行きゃいいや、と安易に考えていたのかもしれません。当時としては C カードホルダーとしてあるまじき雑な思考なのですが、その日恐らくダイブテーブルすら見ていない。見ていたらダイビングの途中で青ざめていたはずなので。

後日 S さんに確認したところ、実は段階減圧という考え方があって、という話をされて一応当時納得はしました。でもレジャーダイバーが使うダイブテーブルでは段階減圧なんてできません。減圧の管理に関しては完全に引率者に委ねることになります。それがいいことなのかというと、今はならはっきりと否と言います。

C カードを持ったダイバーなら、ポイントの選定のための調査、選定、どのようなポイントなのかの理解、注意すべきところ、当日のポイントの状態はどうなのか、海況はどうなのか、といったようなことをあらかじめ調べて、実際に目で見て、自分自身で判断して、そのダイビングポイントでの安全な潜水が可能かということを判断しないといけません。

最大水深 -30m のダイビングを 40 分も行うのであれば、自分自身で減圧停止の回数、それぞれの停止水深、それぞれの停止時間を求めることができなければなりません。それができないのであれば、その潜水はやってはいけないのです。C カードを持つということは本来そういうことです。

もちろんそんなことは実は絵に描いた餅であるということは、後に嫌というほど経験していくのですけれど、それはまた後の話になります。


それでダイビング・ポイント名のトウグリですが、このログを書くために検索してみたところ、そもそも久美浜付近にトウグリと言う名のダイビング・ポイントが見つかりません。敦賀沖にトーグリという名前のポイントはある。けれどもそこは根頭が水深 -18m とあり、今回潜ったところの根頭 -3m とはまったく水深が違う。さらには久美浜からは、あまりに遠すぎる。なのでこの敦賀沖トーグリはぼくらが潜ったトウグリではない。

それで地形の特徴にあってそうなダイビング・ポイントを探してみます。するとこれじゃないか?と思えたのが冠島の立神グリ。地形的に該当しそうなポイントが、ここしかありません。ですが久美浜から冠島周辺のダイビングポイントは遠すぎます。それに立神グリからは冠島が見えるはずです。冠島は行ったことがありませんが、地図を見ると立神グリから冠島が見えないとおかしい。ぼくらが潜ったトウグリは 360℃ 海海海でした。なので立神グリ説も怪しい。

ダイビング・ポイントとの往復で、久美浜の長大な砂州が見えていたので、ボートは大向水道を抜けて日本海に出て東に向かっていたはずです。しかもボートは 1 本毎に港に帰るというようなことはしていません。港から遠すぎるのです。ですが冠島の立神グリはあまりに遠すぎてこれはない。

となると、考えられるのはただ 1 つ。久美浜湾から大向水道を抜けて日本海を北東に向かった絶海に、地元の漁師さんたちや古参ダイバーたちにトウグリ (東の根) と呼ばれていた、今では幻となってしまったダイビングポイントがあった。そういうことなのではないでしょうか。

トウグリの上に着いたときに周囲を見渡すと、本当に陸地が見えません。ボートに乗っていた時間は覚えていないのですが、けっこうな時間乗っていたと思います。30 分じゃきかないと思います。ポイントに着いたときに、周囲に陸地が見えなくて、えらく遠いところに来たもんだと思ったことを覚えています。周囲にまったく陸地が見えないダイビングは、この後しばらく機会がなくて、1990 年秋の玄達の瀬までお預けとなります。

それで根の上あたりにボートが到着して、船長がソナーを使って根のてっぺんを探します。ですがソナーに写ったと思ったらすぐに根頭ねあたまからボートが外れてしまって見失ってしまう。根頭が狭すぎるのです。なので船長から全ダイバーに「根のてっぺんを見つけてくれ!!船の上から見えるはず!!」との勅命が。

なのでゆっくり走るボートから水面を見ながら、必死で根頭を探します。探すのはいいのですが、ぼくはここで初めて船酔いを経験します。低速故に揺れるボートから揺れる水面を見ていて、胃がギュッと絞り上げられてしまって、朝食べた朝食を一気に海面にぶちまけてしまいました。

ボートがポイントに向けて走っている間はなんともなかったのですが、低速で根頭を探し始めてからはだめでした。この時以来、ぼくはボートに弱い人の仲間入りをすることになりました。

そのときからはもう水面を見ることができませんでした。グッタリこそしていませんでしたが、エントリーするまで、立ったままずっと水平線を見ていたと思います。水面を見るとウッっとなるので。他のダイバーに、こいつ、根頭を探さずになに仁王立ちしてんだ?と思われていたかもしれません。実は単に激しく船酔いしていたのです。

「見えた!!見えた!!止めて!!」「あぁ通り過ぎた!!船長、舵まわして!!」「ソナーに写った!!見えるか!?」「見えた!!止めて!!」「あぁまた消えた!!」ということをかれこれ 30 分以上繰り返していたのですが、ぼくの他にもダウンした人はいるはずです。ですが、それに気付けるほどの余裕がぼくにありませんでした。とてもつらい。

串本のグラスワールドや住崎、イスズミ礁などの港から数分の場所ならぜんぜん平気ですが、この日以来、外洋ポイントでは、他の人同様に船べりからエロエロエロとしたり、ボートの上でぐったりする種族になってしまいました。ダイバーエロエロ派とでも呼んだらいいのかもしれません。この状態は吐こうが酔おうがなんだろうと、空元気でやり過ごすという技を手に入れて、酔っても吐いてもグッタリとはしなくなるまで続きます。とてもたいへんつらい。

30 分以上かけて、根にアンカリングすることに成功して、やっとダイビングということになります。

ですが残されたデータを眺めるとどうにもおかしい。だいたいアベレージの水深が -20m もあるのに、潜水時間が 45 分もあるなんて、ダイコンを使う今のダイビングでもあり得ない。普通に考えて減圧症になってそうです。

ダイコンが存在しない当時の平均水深の記録は、ぶっちゃけ「勘頼み」なので、すこぶる数字が怪しい。しかも潜水時間の大半を -3m の根頭で過ごしているので、平均水深は -10m もないのではないでしょうか。

バックロールでエントリーして周囲の泡が消えると、狭い根頭とその周囲の切れ落ちたドロップオフ、串本や白浜と比べるとちょっと色彩的に地味だけどスズメダイが無数に群れていました。スズメダイの壁というか、目の前全体を覆う巨大な塊のようでした。

根頭からショップごとに別れて揃ってドロップオフを潜降していきます。ドロップオフを降りていくのがこんなに気持ちいいのか、というコメントを、今は手元にないログブックに書いていたはずです。ログブックに残すくらい気持ちよかったことを今でも覚えています。

ぼくは生物も好きですが、地形好きはこのダイビングから始まったと言えます。それくらいのインパクトがありました。「日本海と言えば地形!!」という公式がぼくの中でできた瞬間です。

この日の最大の目的だったウミサボテンの群落のことを実はまったく覚えていません。たぶんドロップオフを降下するのが気持ち良すぎたからか、あるいは窒素酔いだったのか、またはカメラとストロボの操作に夢中だったんでしょうね。この日撮った写真は阪神・淡路ですべて失われたので、残念ながら 1 枚も残っていません。

ログブックも同じ震災で失いましたので、このときの記録はわたしの頭の中だけにありました。思いつきで始めたダイビングログの Web 化ですが、当時書いたログブックを除けば、わたしの頭の中からでた初めてのものになりました。

このログの Web 化ですが、人の役に立つようなものではありませんが、印象に残っているものを優先して遺しておきます。