バーr……blog のようなもの 2025 年 08 月

08 月 04 日 ( 月 )

Dive #38: ぼくのバディ

小野寺くん (仮名) とぼくが出会ったのは、ぼくがまだシステム・エンジニアだった 1990 年より少し前になります。そのとき小野寺くんは、ぼくがエンジニアとして派遣されていた (契約上は派遣じゃないけど実質派遣) 顧客企業の新人システムエンジニアでした。ぼくと彼の関係は最初は派遣されてきて仕事をしているエンジニアと、派遣先のエンジニアという関係に過ぎませんでした。

当時ぼくがダイビングをすることは客先企業の課長さんやその他の人には知られていました。課長さんも以前ダイバーだったということもあり、そのような話を課長さんにした覚えはあります。

そんなある日「大山さん、ぼくもダイビングを始めたんですよ」と小野寺くんが声をかけてきました。ふんふん、と聞いていたのですが「今度 2 度目の海洋実習に行くんですが、一緒に行きません?」と声を掛けられました。

今から考えると人の CMAS 1 Star (NAUI の OW I 相当) の講習に認定ダイバーがくっついていくというのもなんだか変なのですけれど、ぼくはダイビングをする友人を求めてもいたので、二つ返事で、いいよ、と応えました。これがぼくと小野寺くんがバディになった切っ掛けでした。

彼の 2 度目の海洋実習は、ログブックを見ると 1990/03/21 (Wed) とあります。それでくっついて行ってみると、彼はぼくが OW I ダイバーになった白浜の円月島で、CMAS コースディレクターの高嶋さん (仮名) の元で、ひたすらスキンダイビングをやっていました。

なんでも彼は耳抜きが苦手で、1 回目の海洋実習ではタンクを背負うことは一切なく、ずっとスキンダイビングのジャックナイフばかりしていたとのこと。なので彼はすでにジャックナイフで -3m 位は楽に潜れるようになっていました。しかも 1 レッグジャックナイフという技まで覚えてましたし。

彼はそれまでダイビングはスキンダイビングを含めて一切やったことがないとこのとで、それが 1 回の海洋実習で、といってもずっとジャックナイフの練習をひたすらやっていたそうですが、ここまでできるようになるもんなんだな、と感心していました。

でもこの日、彼が始めてスクーバユニットを背負って潜るときのバディに、インストラクターの高嶋さんに、ぼくが選ばれました。2 人で行っているので自然なことでした。

彼がスクーバのスキルをやっている間は、ぼくは小野寺くんと高嶋さんの辺りで傍観することになるのかな?と思ったら高嶋さんはぼくにもスクーバのスキルをやれと指示してきました。つまり君は認定ダイバーなんだから小野寺くんに手本を見せれるだろう?ということでした。

ぼくは単なる OW I ダイバーなので、小野寺くんの手本になるのかどうかわかりませんでしたが、彼にまざってスクーバのスキルをやっていました。ぼくは前回のダイビングからちょっと間が開いたな、と思ったらリフレッシュ・コースを受けたりもしていたので、リフレッシュ・コースのようなつもりで、小野寺くんと一緒にスクーバの各種スキルやっていました。

緊急浮上法はぼくと高嶋インストラクターでデモンストレーション (?) を先に小野寺くんに見せて、そして高嶋インストラクターは小野寺くんと彼のバディであるぼくにやれ、と指示するので、やりました。

当時、どの指導団体でも緊急浮上法は緊急スイミングアセント、オクトパス・ブリージング、バディ・ブリージングの 3 種類が行われていましたから、小野寺くんとそれをやりました。

そしてその日の午後、小野寺くんの 2 回目の海洋実習のスクーバスキルの最後に、軽くチェックダイブっぽいミニ・ボートダイブツアーが行われました。

ぼくは小野寺くんが耳が抜けにくいことは聞いていたので (彼はきちんと耳鼻科に行って耳管に空気を通してもらうなどはしていた)、潜降時に小野寺くんに耳が抜けているのかを確認したり、その他問題がないか確認しながら、2 人で潜降していきました。

ダイビング中も、ときおり小野寺くんのエアー残量を確認したりなにか問題がないかチェックしながら潜っていました。小野寺くんもぼくに対して同じようにエアーの残量を確認したり問題がないか確認していました。

ときおりぼくや小野寺くんは何かを見つけると、お互いに呼び寄せて、こんなんおるよ?とか見せあっていました。ぼくはそもそもダイビングとはそういうものだと思っていたし、彼は学科でつい先日それを学んでいたので、自然とそのようなスタイルになりました。ぼくと彼はバディとして Win-Win の関係でした。

高嶋さんが引率する形ではあるのですが、ぼくと小野寺くんは高嶋さんの管理下のもとでバディ・ダイビングを行っていました。でもこの当時はどこでも見られる日常的な光景でした。当時インストラクターなどの引率者がいても、誰もがバディ・ダイビングをしていました。

このときは引き返すタイミングを高嶋さんが引き返すことを最終決定するだけで、それ以外のことはぼくと小野寺くんでやっていました。ただ高嶋さんの引き返す決定も、実際にぼくと小野寺くんはお互いの残圧を確認して、高嶋さんにそろそろ戻りたいとハンドサインで知らせることで決定されていました。


翌日は全日スキンダイビングのレスキューに充てられた。場所はやはり円月島。

大山くん、ぼくが水面での溺者役をやるからレスキューしてみて。オープンでやったとおもうけど。と CMAS コースディレクターの高嶋さん。

はいと、返事するぼく。

小野寺くんは見てて、と高嶋さん。

高嶋さんが迫真の演技で水面で溺れる人を演じ始める。ぼくは OW I の講習で学んだように 5m ほどの距離で声をかける。相変わらずパニック状態で溺れる人を演じる高嶋さん。ぼくは高嶋さんの左手側に回り込む。溺者は必ず手を伸ばして救助者を掴もうとする。なので伸びてきた左腕の手首をつかんで引き寄せて、背後からホールドする。そのようにオープンの講習で何度も練習していた。

ぼくは迫真の演技で溺れ役に徹している高嶋さんの左腕に自分の左手を伸ばす。その瞬間高嶋さんは、ぼくをひっつかんで引き寄せ、激しく暴れながらぼくの体によじ登り始めた。マスクもスノーケルも弾き飛ばされ、周囲は泡で真っ白になった。い、息ができない。

高嶋さんは情け容赦なく、ぼくの頭や肩を水面下へと激しく蹴り、ぼくの体の上に、もっと上にと、よじ登ろうとしていた。こ、これを続けられると、ぼ、ぼくがやばい。

も、もう、だめかも、と思ったときに高嶋さんがぼくに、よじ登るのをやめた。

ぼくは激しく咳き込みながら、水面から顔を出して空気を吸う。た、助かった、そう思った。

ぼくが落ち着いてから高嶋さんが口を開く。

大山くんどうだった?

し、死ぬかと思いました。

怖かった?

そ、そりゃ、怖かったです。

いいか?大山くん、小野寺くんもだけど聞いて欲しい。本当に溺れている人はああなる。救助しようとした人を捕まえてパニックになりながら空気を求めてよじ登ってくる。あれでもかなり手加減しているけど、怖かったろう。

は、はい。

大山くんはぼくの左手首を掴んで、後ろからぼくをホールドしようとしたろ。

はい。

講習で習ったからだろ?

はい。

それをやると大山くん、きみは死ぬことになる。

溺れてる人は大人しくホールドなんてされない。だからあれをやってはいけない。救助者が先に死ぬことになる。あれは熟練した救助者でもできない。

ぼくと小野寺くんは息を飲む。

それじゃぁどうすればいいのか、ぼくが見せるから。今度は大山くんが溺れる役をして、ぼくによじ登ろうとしてみて。さっきのぼくみたいに本気であばれて、よじ登ろうとして。本気でね。

どれだけ迫真の演技になってるのかは分からなかったけど、水面で溺れるスキンダイバーの役を演じ始めた。両手を大きく振り回し、上半身も振り回し、胸まで水面から出るように必死で演じ始めた。

こ、この溺れるのを演じるのって、かなりしんどいぞ。た、体力持たないかも。

ぜぇぜぇ言いながら演じていると高嶋さんが近づいてくる。離れた位置から声をかけて左手側に近づいてくるのはぼくと同じだった。

ぼくは高嶋さんをひっ捕まえて、よじ登ろうとした。

できなかった。

高嶋さんは、球技のプッシングのように、ぼくを両手のひらでポーンと弾き返した。ぼくはさらに何度も何度も高嶋さんをひっ捕まえようとしたけれど、その度にボーンポーンと弾き返されて高嶋さんに近づくこともできなかった。

大山くん、もういいよ。大山くん、ぼくに近づけなかったろう?

はい。相手を弾くことでよじ登られないようにできることはわかりました。でも、あれからどうすればいいんですか?

溺れてる人の意識がなくなって動かなくなるまで待つ。

えっ!?

意識が無くなって動かなくなったのを確認してから陸やボートに曳航する。

で、でもそれって、た、助かるんですか?

死ぬかも知れない。

えっ!?

でも死体が 2 つより 1 つの方がマシだ。それに幸運なら誰も死なないかも知れない。大山くんが習った方法でレスキューできたか?

とてもじゃないけど無理でした。で、でも、もし小野寺くんがああなったら、ぼくは小野寺くんの意識がなくなって動かなくなるまで待たないと駄目なんですか?

大山さんがああなったら、ぼくも大山さんが動かなくなるまで待たないと駄目なんですか?

そうしないといけない。そうしないと 2 人は一緒に死ぬことになる。しかも助けに行った方が先に死ぬ。

ぼくたち 2 人は顔を見合わせる。

だから、君たちは 2 人で考えないといけない。そうならないように、どうすればいいのか。


帰りの車の中で小野寺くんが口を開く。

大山さん、どうします、あの件。ちょっとぼくは大山さんがああなったら放置できないんですけど。

うんぼくも。どうすればいいんだろう。でもまずは、ぼくはレスキューは取ろうと思う。今のままだと、もしものときに君を殺してしまうことになってしまう。そんなの耐えられない。

ぼくもです。まだ 1 Star の講習が終わってないけど、終わったらすぐにレスキューを取ろうと思います。

うん、お互いに、最悪の事態に直面したときに助けられないかも知れないけど、全力は尽くしたい。

ぼくもです。


彼はぼくのためにより良いダイバーになろうとしていた。ぼくも彼のためにより良いダイバーになろうと誓った。

ぼくにはもうぼくのバディは彼以外考えられなくなっていた。

恐らくこの瞬間、ぼくたちは真のバディになったのだと思う。


そんな真面目な話をしていた 5 秒後には、次、どこ行こっか?なんて呑気な話をしていた。

大山さん、次はもうちょっとボートやりたいっす。

だよねぇ。やっぱり君は高嶋さんのところがいいよね?

ですねぇ。ボートはまだ昨日のだけだし。

それじゃぁ大阪帰ったら、また高嶋さんに連絡とって相談しようか。ぼくもボートの経験は少ないし、白浜のボートのポイントもぜんぜん知らないから。高嶋さんに教えてもらってる君が一番適任だと思うし、頼んでいいかな。

それじゃぁ、ぼくから高嶋さんに相談してみます。

あとね、日本海の越前にね、軍艦岩っておもしろいポイントがあるのよ。最大水深が -30m 近くまであるから、気をつけないといけないんだけど。海底近くから見上げる軍艦岩がど迫力でかっこいいのよ。一緒に行きたいな。高嶋さんもきみら 2 人だったら大丈夫だろ、とか言ってたからどうかな?

いいっすね。

日本海は夏がシーズンだから、それくらいの時期になるけど、計画考えてみるわ。また相談に乗ってよ。


なんて感じで大阪へと帰っていくのでした。