バーr……blog のようなもの 2025 年 06 月

06 月 24 日 ( 火 )

Dive #22: CPR - Lacrimosa あとがき

Dive #22: CPR - Lacrimosa のあとがきです。あのお話には、なんだか自分の思いの丈が、濃縮されて、たくさんぶち込まれてしまったので、おそらくこのあとがきは、本編より長くなります (笑)

なぜなら、おそらく読者よりも、わたし自身が、それを、クールダウンを必要としているから。

もともと「Dive #22: CPR - Lacrimosa」は、あのような内容のお話になる予定では、ありませんでした。

18 日の夜遅くに書き始めたのですが、そもそもタイトルが異なっていました。

元のタイトルは「Dive #22: ダイブマスターちゃん仕事日和 - CPR」で、ダイブマスターちゃんが、右の画像のように、にこにこしながら、ゲストに CPR の手順を説明する、というだけの内容になるはずでした。

ですれけど、わたしたちに限らず、ゲストの人も CPR のトレーニングって、真剣にするじゃないですか。

わたしたちタイバーが、ダイバーでなくてもですけれど、CPR を学ぶ目的は、あまりにも明白なので、真剣になるのは当たり前です。

なのでダイブマスターちゃんの表情も、最初の柔和な表情だけでなく、真剣な表情の画像も生成できるように Prompt を調整していったわけです。

すると、あのお話で使った真剣な表情の画像なんかも生成されたりするわけです。なかには、ちょっとこれは、あまりに真剣すぎるのでは?という表情の彼女も生成されたりしました。

するとやっぱり思っちゃうじゃないですか。この娘、普段はおちゃらけて冗談をよく言ってる明るい娘だけれど (作者的にそういう設定なのです)、なにか抱えてるな、って。

この娘、人に死なれてる、そう思ってしまいました。

ダイビング中に誰かに死なれてる、それは無意識に避けてしまいました。それはやっぱり、ぼくたちダイバーは絶対に見たくないことですし、もし一緒に潜っていた人になにかがあって、亡くなられてしまったら、たぶんダイブマスターの仕事なんて続けることができない。それどころか、もうダイビングなんてできない。

それだけではなくて、人間っていうものは、そんなタフでもないし、鈍重でもない。生きていくこと自体が難しくなってしまう。人によっては、そのために自ら自分の命を断ってしまうかも知れない。

なのでダイビング中に、誰かに死なれてるのはない、となりました。作中の彼女も耐えれないでしょうが、ダイビングの事故で誰かが亡くなったというのは、書いているわたし自身がとても耐えれない。無意識に避けてしまったのは、そうことなのだと思います。

じゃぁ、どんなときに彼女は人に亡くなられてしまったのか、そんなストーリーテーリング的に考える必要も無いくらいに、わたしとわたしの家族が 1995 年当時、まさに渦中にあった震災体験とリンクしました。

この娘は震災被災者で、かつて助けようとした誰かを助けられなかった、という展開が、わたしのなかで自然発生しました。

わたし自身は彼女のような体験まではしていませんが、本や他の人の話で、そのようなことが、あちこちであったことは知っています。実際にぼくたち夫婦と歳が変わらないお隣のご夫婦は、娘さんを亡くされていますし、狭い町内でも 30 人を超える人たちが亡くなりました。命を助けたくても、誰もどうしようもなかった、ということは、あの当時、身の回りで普通にあったことなのでした。

当時、だれもが、生き残った人もみな深く傷ついていました。生き残った自分を責めていました。亡くなった人たちを想いながら、生き残ってごめんなさいって。

今でも思うのですが、やはりぼくたちには生きるためのしるべが必要でしたし、それは今でも変わりません。できればなにか救いが欲しい、救いとまでいかなくても、救いに至りそうな何かが欲しい、その気持ちを消すことはできません。

彼女の場合、生きる標になるのはなんだろう?

彼女の苦しんでいる姿を描きながら、彼女を抱きしめて支えたいという気持ちが湧いてきて困っていたのですが、それは誰が担うのだろう?そう想ったときに、浮かんだのが、普段は彼女とイチャラブしてて、彼女にいじられている彼氏のインストラクターくんの存在でした。普段は存在を匂わせるだけにとどめている彼に、今回は物語ってもらう役を担ってもらいました。

いつもは風のようにしか描いてこなかった彼に、いきなり、とてつもない重荷を担わせるとか、ひどい作者だ (笑)

まえがきに少し書きましたが、ダイブマスターちゃんが CPR をしながら、心を崩壊させていくさまは、わたし自身の姿とリンクしています。たぶんわたしが彼女と同じ体験をしているなら、わたしもあのようになったと思います。描きながら、ぜんぜん他人事に思えませんでした。そういった意味で今回のダイブマスターちゃんは年齢も性別も異なりますけれど、わたし自身ということになります。

また一方で、彼女を描きながら、彼女を支えたいという気持ちも、自然に湧き出てきます。その役割を彼氏くんに担ってもらったのですが、特にエピソード最後の彼のモノローグは、わたしの気持ちをそのまま代弁してもらいました。そういった意味で、彼もわたし自身だと言えます。

また作中で、彼女に泣きながら強い言葉を浴びせる、娘を亡くしたお母さんのことがダイブマスターちゃんの口から語られます。もし震災当時、わたしが娘を亡くしていたら、医師か看護師、救急スタッフに同じような言葉を浴びせてしまっていたかも知れません。そういった意味でも、そのお母さんもわたし自身なのです。

実際の医療現場などで、家族を亡くしたご家族が、医師や看護師などに、「お前が殺した」と怒りの言葉を投げつけることが多いと聞きます。

でも医療従事者の人たちは、ああいった言葉を、自分に向けられた非難ではなく、理不尽にも大切な人が亡くなった、その理不尽さに対して、悲しみと怒りを表現しているのだと理解しているし、理解しなければならない、わたしたちは感情を専門職としての技術と技能で制御しなければならない、とおっしゃっていました。

でも思うのです。たとえ仕事であろうと、専門的に訓練やピアサポートを受けていても、受け持ちの患者に亡くなられて、平気な人なんていないと。だから医師や看護師にうつ病になる人が多く、自死してしまう人も多い。そういうこともわたしは、知っています。

なのでまえがきの注意事項に、精神的に過酷な場面に何度も何度も直面するような、医療従事者の人が読むのも非推奨と書かせていただきました。

あの長いまえがきもそうですし、このくそが付くくらい長いあとがきもそうなのですが、読者への配慮という意味も当然ありますが、実のところわたし自身が必要とするものです。

CPR - Lacrimosa は、非常に短いエピソードですが、ずっとあのエピソードの中に自分を置いておくのはあまりにしんどい。ときおり今の現実にもどる必要があります。あのまえがきと、このあとがきは、そのための On / Off スイッチのような、トリガーとして使っています。

最後に、ダイブマスターちゃんのエピソードがこれからどうなっていくのか、ということですが、シリアスなエピソードは今後登場する予定はありません。

だって、それは作者であるわたしが望んでいないから。

ダイブマスターちゃんには、これまで通り、陽気で明るく、ジョークを飛ばしまくる娘でいて欲しいし、そのように描き戻すつもりです。

このシリーズはフィクションですが、なんだか、ダイブマスターちゃんが (インストラクターちゃんもですけど)、わたしの中で、すごく大切な娘になってしまっていることを痛感します。

ダイブマスターちゃんは、彼氏のインストラクターくんと幸せになって欲しいし、実際にそうなっている画像はいくつか生成済みです。

これからのダイブマスターちゃんは、左の画像のように、明るくて元気な娘に戻ります。

ダイブマスターちゃんは、これまでのように、ラブコメとコメディ担当に戻ります。

ちょっと真面目っ娘なインストラクターちゃんと、明るく陽気なダイブマスターちゃんを、これからもよろしくおねがいします。ダイブマスターちゃんの彼氏のインストラクターくんですが、また風に戻ってもらいます。すまん、すまんのう、インストラクターくん (笑)


作者注:

インストラクターちゃんシリーズ内のエピソードは、あくまで架空のエピソードです。登場人物も全て架空の人物です。実在する潜水指導団体、ダイビングショップ、ダイビングサービス、ショップオーナー、インストラクター、ダイブマスター、アシスタントインストラクター、ダイバーとは一切関係がありません。また実際の災害とも一切の関係はありません。ご注意ください。