今回はキャラクターの震災被災時のエピソードが含まれます。被災体験者の方や、医療関係者の方、実際に一次救命措置 (BLS: Basic Life Support) を行った経験のある方など、場合によっては実際のご自身のご経験を想起してしまって PTSD が再燃したり、気分が悪くなることが考えられます。
そのため、今回に限り被災体験者の方や医療関係者の方、一次救命措置経験者の方には、あえて読まないことを強くお勧めします。
もし、今日のエピソードを読んでしまい、その後に、強いストレス反応、うつ状態、自責の念にかられるようなことがあれば、そのときは読むことを中断し、必要に応じて適切な専門機関にご相談ください。
今回のエピソードは、わたしにとって、とても大切なエピソードです。
今回、登場する全てのキャラクターは、ダイブマスターちゃんや、その彼氏のインストラクターくんを含め、また彼女や彼の口から語られる全ての人が、作者自身でもあります。
わたしは、実際の阪神・淡路で被災したときには、このエピソードで語られるような言動をしませんでしたが、あのとき、そのような状況に置かれていたら、おそらくそうなったであろう、ということを、このエピソードでは描いています。
とはいえ、今回のエピソードは、特に強調しますが、すべてフィクションです。実際の災害や、心肺蘇生法が実施された現場、救命措置が行われた現場とは一切関係がありません。フィクションをフィクションとして受け止めることができる方のみ、お読みください。
またタイトルの Lacrimosa ですが、ラテン語の原詩とは直接関係がありません。もし助けられなかったことが罪であり、もし生きていることが罪であるならば、わたしたちはとても生きていくことはできません。
仏教徒でありながら宗教心の薄いわたしですが、今回、改めてレクイエムのラテン語の原詩を全て読み、あの詩が人の心を編んだものであるならば、もし神様というものが本当にいらっしゃるのであれば、苦しみ生きている人というものを、心から救ってほしい、愛して欲しい、そう願わずにはいられません。
また今回だけはエピソードを重視したいので、プロンプト等のキャプションは省略します。ご了承ください。エピソードの元となった画像と今回のエピソードで使用した画像 1 枚のプロンプトは chichi-pui で公開しています。
なお CPR の手順は 2025 年時点の最新の CPR プロトコルである JRC 蘇生ガイドライン2020 に従いました。誤りがあればご指摘ください。
またポケット・マスクやフェイス・シールドの利用に関する記述は、まだ評価の定まっていないエビデンスや、ダイブマスターちゃんの私見となります。ご注意ください。
まえがきの最後になりますが、全ての人が、どうか良き人生を送られますように。
今週いっぱい、スタッフ研修のために、スタッフ全員で海までやってきている。
新しく開発したポイントの下見とガイド計画、純粋なスキルトレーニングと安全管理上の各種チェック、それらの意識のすり合わせ等、内容は多岐にわたる。
今日はスタッフ研修の最終日。最後の仕上げの CPR トレーニングだ。
「それじゃぁ、次はわたしが行きます」
いつもは、冗談を頻繁にとばして、場をなごませている彼女の表情が、いつになく固い。
なぜそうなのか、ぼくは知っている。
オーナーのおやっさんを始め、スタッフは全員それを知っている。
「大丈夫か?」
おやっさんが確認する。
「はい」
彼女が短く答える。
まわりに静かな緊張感がただよう。
「安全よしっ!!」
指差し確認で実施場所の安全確認を行う。
「大丈夫ですか!?大丈夫ですか!?」
要救助者の肩を叩いて意識の有無を確認をする。
「そこのあなた!!救急車を呼んでください!!」
「そっちのあなた!!AED を持ってきてください!!サービスにあります!!」
てきぱきと指示を出していく。
みんな本当に彼女の指示通りに動いてしまいそうになる。それくらい彼女の口から発せられる言葉は、ぼくたちを突き動かす。
頭部後屈オトガイ部挙上法で、要救助者の気道を確保し、要求助者の鼻と口に自分の頬を近づけて、呼吸の有無を確認する。
「意識なしっ!!呼吸なしっ!!始めます!!」
波と風の音にまざって、彼女の胸部圧迫をカウントする声が、ビーチにこだまする。
「1、2、3、4、5、6、7、8、9、……、29、30」
つづいて 2 回のマウス・トゥー・マウスによる吸気。CPR ダミー人形の口には、フェイス・シールドが装着されている。
彼女は陸上ではポケット・マスクは使わない。
本当はフェイス・シールドも使いたくないと、彼女は言っている。
でもフェイス・シールドなどを使わずに、口を直接要求助者の口につけることは、BLS では非推奨とされている。感染の危険性を考慮してのことだ。
彼女が陸上でポケット・マスクを使わない理由は明快だ。
まずポケット・マスクを使うと、マスクの密着度を維持するのが難しく、隙間から呼気が漏れる、と彼女は言う。
でも、これがポケット・マスクを使いたくない一番の理由だ、ポケット・マスクを使うと死腔が増えすぎる、そのようなことを彼女は日頃から強く言っている。
「気休めかも知れない。気休めかも知れないけど、酸素を少しでも多く、要求助者の肺に届けたい」
彼女はいつも、そのように言う。
彼女の頭部後屈オトガイ部挙上法の動作も正確だ。
2 回の吹込みのときも、ダミー人形の胸の動きを横目で目視して、きちんと送った呼気が要求助者の肺に届いていることを確認する。
30 回の胸部圧迫と 2 回の吹込みのルーチンを、救急隊が到着するまで、ただひたすら正確に繰り返す。
もしかすると気管挿入による気道確保や、カテーテルを挿入しての気管や肺からの吐瀉物、水の吸引、強心剤投与などをしないと、助からないかも知れない。
でもそれら医療行為は、ぼくたちには許されていないし、そのような技術もない。医者ではないし、そのような訓練は受けていない。
だからぼくたちは、助かることを信じて、ぼくたちにゆるされていることを、医療従事者につながるまで、ただひたすらにするしかない。
ただ、あまりに真剣で、トレーニングを超えている彼女の CPR を見ていると、不安がよぎる。また、なるんじゃないかと。
「……!!」
「…!!」
「お願いっ!!」
「動いてっ!!」
「戻ってきてっ!!」
彼女の胸部圧迫のカウントにそんな言葉が混ざり始める。
「救急車はまだっ!?」
「早くっ!!」
「早く来てっ!!」
「救急車っ!!」
そんな言葉がまざりながらも、彼女の胸部圧迫と吹き込みのペースが乱れることがない。
「お願いっ!!」
「動いてっ!!」
「戻ってきてっ!!」
「行かないでっ!!」
ボロボロと涙がこぼれ始め、嗚咽がこぼれ始める。
まずい、と思うより先に体が動いていた。
涙を流しながら、髪を振り乱して、ひたすら胸部圧迫と吸気を繰り返す彼女を止める。
「もういい!!もういいんだ!!」
「やめよう!!」
彼女をダミー人形からむりやり引きはがす。
そのまま彼女は、その場に泣き崩れてしまう。
「わたしのせいでっ!!」
「わたしのせいでっ!!」
「少し安もう」
泣き崩れた彼女を、抱き起こす。
「すいません、おやじさん、ちょっと彼女を休ませてきます」
いまにも崩れ落ちそうになる彼女を抱きかかえて、歩いていく。
やっぱり、まだ……
「ごめん、だめなの」
「どうしても、忘れられなくて」
「もし、あのとき、あのとき……」
「わたしじゃなかったら!!」
「わたしじゃなかったら!!」
「あの娘、助かったんじゃないかって!!」
「わたしじゃなかったら……」
「……」
「…」
「あのときの、あの娘のお父さんの顔も、お母さんの顔も、忘れられないの……」
「どうしても、消えないの……」
「あんたが殺したって、あのとき泣いていた、あのお母さんの声も、忘れられないの……」
「どうしても、あの声も消えないの……」
君のせいじゃない、街が壊れてしまったあの日、なにもかもが壊れてしまったあの日、病院の廊下に並べられた多くの人たちに黒いカードが置かれていたあの日、ぼくたちは何もできなかった、でもそれは誰のせいでもない、そんな安っぽい慰めの言葉をぐっと飲み込んで、ただひたすら彼女が落ち着くまで、抱きしめるしかなかった。
「……落ち着いた?」
「……」
彼女はまだしゃくり上げている。
あの日、街が壊れてしまった日、だれもそんな日が来るなんて思ってなかった。
街が壊れ、多くの命が失われた日……
救急車両が来なかったあの日……
病院がまともに機能しなかったあの日……
避難所でただひたすら助けがくるのを待つしかなかったあの日……
助けられなかった命……
誰もが懸命に生きようとした……
目の前の命を助けようとした……
誰も悪くはなかった……
でも、あの日を忘れるなんて無理なのだ。
「……」
「…」
「ごめんね……」
「大丈夫?」
「……うん……たぶん……」
ぼくは彼女をつよく抱きしめる。
この娘を守りたいと想う。
強くこの娘を守りたいと願う。
そのためにぼくは強くなりたい。
そのためにぼく自身がくずれないように。
そのためにぼく自身が泣いてしまわないように。
そして、彼女をささえ続けるために。
そのためにぼくは強くなりたい。
そのために、一生をかけても構わない、そう思えるのだ。
インストラクターちゃんシリーズ内のエピソードは、あくまで架空のエピソードです。登場人物も全て架空の人物です。実在する潜水指導団体、ダイビングショップ、ダイビングサービス、ショップオーナー、インストラクター、ダイブマスター、アシスタントインストラクター、ダイバーとは一切関係がありません。また実際の災害とも一切の関係はありません。ご注意ください。