No.: 62
Location: 和歌山県串本町 オレンジハウス前
Condition:
Date:
1993/08/28 (Sat)
Activity:
NAUI Advance コース Night Diving
 海況: おだやか
Temperature
Visibility
Bar.
Depth
Time
Instructor (or Dive Leader) Signature:
Air
Surf.
Btm.
Tank
Start
End
SAC
Ave.
Max.
Start
End
Btm.
Total
Diving Spot Toriton
 
 
 
 
 
 
12
150
75
14.06
6
8
21:20
22:00
00:40
28:41
#14044 Y.I.
m
m
m
bar
bar
ℓ/(barxmin)
m
m
 
 
 
 
 

   

  :  

EAN : %
PO2 :
MOD :
ERD :

   

  :  

Multi-level diving
(Used Diving Computer)

PD     

PD+     

(a)MDT     

(a)MDT     

D  00:40   

STOP
ANT
ADT 00:40
TNT
Name Age Gender Bar. Note
Start End
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

Notes:

データの内ダイブテーブル関係は今回ツアーからは省略。なぜかというとダイビング・コンピュータを使ったマルチレベル・ダイビングに完全移行したから、ということになる。


このダイビングはアドバンスのコアスペシャリティのうちの 1 つのナイトダイブ (視界不良潜水)。バディが誰だったのか、ログが残っていない[1]ので今となってはわからない。潜降開始時間が 21:20 と、かなり遅いのだけれど、なんでこんなに遅かったのかが記憶にない。考えられるのは下の理由くらいしか思いつかない。

なお満月が近いということで、潮は大潮に向かっていたので潮の干満差は最大に向かって行っているところ。オレンジ前では干潮時はテーブルサンゴの群落の一部が、水面から露出する。波をかぶるとはいえ、これでポリープが死なないのだから、やっぱり自然の生命力はすごい。

トリトンでは、ナイトダイブでのコース取りは、おおよそ毎回図の赤線の通り。

エントリーポイントの水路状を抜けると、そこで潜降。そして真南に向かう。すると小さな根にぶち当たるのだけど、その手前で、たいていでかいイシガキフグが中層に浮かんで寝ていたりした。

そして丸で囲んだ辺りをうろうろする。テーブルサンゴの上は泳がない。なぜかというと大潮などの干潮時はこのサンゴの根が水面スレスレにまでの水深になってしまって泳げないからということになる。

大潮でなくても干潮時は水深 -50cm くらいになってしまうので、腹や胸をサンゴに擦るので、ダイビング器材を背負って泳げるものではない。サンゴにダメージも加えることになってしまうし。

そんなこともあって、もっぱら水路状になっているところや、サンゴの群落の周囲をうろうろすることに終始する。

サンゴの陰や岩陰にアオブダイが膜を張って寝ていたり、いろんな魚が寝ているのを見ることもできる。動き回っているのは穴子の仲間とかエビの仲間、タコだったかな?無防備に中層で浮かんで寝ている魚がそこそこいるので、中層で寝ていて無事で済むのか?と最初はちょっと驚く。

しばらく沖のテーブルサンゴ周辺を見て回った後、いつもは元の南の根まで戻る。そこからエントリーポイントへと真北に向かうのだけれど、その途中の砂地で全員着底して、引率者がライトを消すようにとサインを出す。そこでみんな揃って、手をフリフリと振って、夜光虫を光らせて、満足したらエキジットポイントへと戻る。

それで「いやぁ、今夜は満月だからやっぱり明るすぎて夜光虫ぜんぜんわかんないねぇ」とか「今夜は夜光虫すごかったねぇ。あれだけ光るのはちょっとめずらしいかも」とか話しながらオレンジハウスに戻ってオフティング等を済ませる。

エントリーポイントあたりのビーチの上から、オレンジハウス前の水面を眺めていると、ライトの光がボゥっと青白く光っているので、おぉ、あのへんで誰か潜ってる、っていうのがよくわかる。


[1] 今後はもういちいち書かないが、ダイビング関係に限らず自分の何かが残ってないとか失われたというときは、1995/01/17 の阪神・淡路大震災で失われたからということになる。なんとか救えたのはダイビング関係だと BC とレギュだけなので、それ以外は全てなにもかも失われた。ログブックすら。なので ITC やダイブリーダーコースの受講資格であるログでのダイビング経験の証明が不可能になった。とはいえ実際には、どこもいろいろ融通を効かせてくれた。師匠がぼくのダイビング経験を証言してくれたということもある。なので本当に今でも師匠には頭が上がらない。