B
15:55
| EAN : | % |
| PO2 : | |
| MOD : | |
| ERD : |
G
16:35
PD -12m
PD+ -15m
AMDT 109
AMDT 58
D 40
| STOP | 00 |
| RNT | 21 |
| ADT | 40 |
| TNT | 61 |
| Name | Age | Gender | Bar. | Note | |
|---|---|---|---|---|---|
| Start | End | ||||
| 小野寺くん (仮名) | |||||
Notes:
ぼくと小野寺くん (仮名) が車を走らせているときに小野寺くんが干物を買っていきたいというので、適当に見つけたお店に車を止めて飛び込んだ。バディ・ダイビングはこういう自由がきくのがとてもよい。
買い物を済ませて会計をしているときに、お店のおばちゃんに、さっき軍艦岩で潜ってきたのだけど、このあたりで他にダイビングポイントはない?って訊いてみた。
すると、かれい崎荘ってところの前で、よく潜っている人がいるとのことで、どんなところなのか知っていたら教えて欲しいと頼み込む。なんでも整備のために漁船を上げるスロープを降りてエントリーしてまっすぐ沖に向かうと、魚礁が沈められているとのこと。
なので次のダイビングは二人で相談してかれい崎荘前にする。かれい崎荘が今でも残っているのかどうかは知らない。
かれい崎荘前の駐車場に車を止めて、セッティングを終えてエントリー。でもよくよく考えたら、真っ直ぐってどっちの真っ直ぐだ?ってなってしまった。方角まで訊いてない。でもエントリーしてすぐで、距離はほとんど離れていないと訊いていたので右側の堰堤沿いに潜っていく。
小野寺くんはやはり耳抜きがほとんどできずに水深 -4m くらいから下には来ない。浮上して中止する?と尋ねるが潜水を継続したいという希望。なのであまり深く潜らず、というよりも水深があまりないので深く潜りようがなかったのだけど、スキンダイビングでいいのでは?という水深で潜る。
ただエントリーをしてからの方角を訊いておかなかったのは大失敗で、魚礁なんてぜんぜん見つからない。見つかるのは地元の人が捨てたと思われる自転車などの粗大ごみばかりだった。
魚礁を探し回って、いいかげん時間も経っていたので、二人で相談してエントリーしたスロープに戻ってエキジットした。
情報収集不足という反省点があったダイビングとなった。
それと小野寺くんが日本 Oracle に転職してしまって、仕事で日本全国を飛び回るということになってしまい、彼とのダイビングはこれが最後になってしまう。まさか彼ともう潜れなくなる日がやってくるとは思っていなかったのだけれど、連絡を取り合うことすら困難になり、そのまま疎遠になってしまった。
この後ぼくはアドバンスを受講することになるのだけれど、もし彼と潜り続けることができていれば、アドバンスを取りはしたとしても、恐らくインストラクターになって開業を目指すという道は選んでいなかったと思う。インストラクターや開業を目指すきっかけになったのは、たしかに大瀬崎や雲見でのダイバー消失事件ではあるけれど、彼と潜り続けることができていれば、ぼくは相変わらず彼とファンダイブを楽しんでいて、1 ファンダイバーとしてその後も過ごしていただろうなと思う。
なので大瀬崎と雲見でのダイバー消失事件と、小野寺くんと潜れなくなったことが、ぼくのダイビング人生を大きく変えてしまったと言える。