11:30
EAN : | % |
PO2 : | |
MOD : | |
ERD : |
F
12:07
PD -9m
PD+ -12m
(a)MDT 223
(a)MDT 130
D 37
STOP | 00 |
RNT | 00 |
ADT | 37 |
TNT | 37 |
Name | Age | Gender | Bar. | Note | |
---|---|---|---|---|---|
Start | End | ||||
児島さん (仮名) | male | ||||
Notes:
引率インストラクターは NAUI ITC を合格してきたばかりの齋原さん (仮名)。合格してきたばかりとはいえ、作業でも潜っておられるし、海恋に勤め始まるまではクラブで仲間とずっと潜っておられたので、ダイビングの楽しい話題が、岡村さん (仮名)、坂下さん (仮名) より、たくさん出てくる。
お二人がダメなのではなくて、やっぱり工事の話よりファンダイビングがどれだけ楽しいのかの話題のほうが聞いていても楽しい。
とはいえ坂下さんなんかは海外での作業仕事の合間のスピアフィッシングの話などもいろいろ聞かせていただけたので、それはそれで楽しかった。スピアというと日本では眉をひそめる人が今では多いけれども、ぼくが中学生くらいの頃は雑誌に八丈島でのスピア大会の成績とか普通に掲載されていたし、スピアをやる人たちが、どのように大きな魚とファイトしていたのか、その緊張感と臨場感の話は、やはり聞いていて面白かった。というかよく死なずにすんでるなという話題が多かったけれど。
それとこの日は恋海の新しい女性スタッフもアシスト (?) に入っていた。すごくよくしゃべる娘で、パラオのカープアイランドの故岸川格さんに OW の講習を受けている。よくしゃべるやっちゃなぁー、うるせぇわ、とか格さんに言われてたらしい。快活で楽しい娘だったので店で会って一発で好きになってしまったし、名前も名字も覚えているのだけれど、この娘の話題を少しでも出すと家庭が崩壊しかねないので、彼女はもう登場させないし仮名であっても名前も出さない (苦笑)
でも当時ぼくは独身だったし、そもそも女房と付き合い出すのはこの娘に振られた後の話なので、名前が出たくらいで怒らないで欲しい。ぼくは女房を生涯の伴侶として決めたのだから。そこは信頼して欲しい。
そう。ダイビング・ツアーの話だ。忘れてた。
この日のツアー参加者はスタッフの 2 人と謎のパラオ人実業家 1 人を含めて 8 人くらいだったと思う。パラオ人実業家はインストラクターを雇ってはいたけれど、彼自身はダイビングはしないようだった。
パラオ人実業家の彼とこの日のゲストでカタコトの英語、いや英単語で話をしていたのはぼくぐらいだったかもしれない。でも行きの車の中で田んぼを指さしてあれは何だ?と言うので、みんなで田んぼって英語でどういえばいいんだ?とか言いながら rice field (米の畑) とか言っていた気がする。すでに田んぼには水が張られているし、日本では稲作は水田で行われるので Paddy filed と言うべきだったかも知れないけど、そこまで英語に詳しくなかったし、辞書なんてないので rice filed と相成った。
それとパラオには桜のお祝いの日があるというので celebration? などとたまたま知っていた単語で訊いてみたら、英語がわかると誤解されてしまって、機関銃のようにべらべらべらべらといろいろ英語で話しかけられてしまい、ぜんぜんわかんねぇー、って冷や汗をかいていた。
彼は日本でのビジネスパートナーを探すために来日したと言っていて、けっこうな期間日本に滞在していたけれど、たぶん彼の希望は叶っていない。彼が来日してからの周囲の人間にはそんなつてのある人間は 1 人もいなかった。彼はパラオで知り合った、その名前を出せない彼女を頼って日本にやってきていたが、彼女はそんなつては当然ないし、他のだれもそんなつてがない。もうちょっと頼りにする人間を選んでから来日すべきだったと思う。
彼の滞在中、名前を出せない彼女の都合上彼を案内できない日は、なぜかぼくが彼に大阪を案内したり、ぼくが当時ドラムを叩いていたバンドの練習を見に来る?とか言ったりしていて実際に聞きに来たりしていた。それでぼくたちの曲を聞いて興奮しながらフィリピンあたりで録音して東南アジアとオセアニア一帯でリリースしろ!!と言う。
リーダーを除いてぼくたちは本気にしなかったけど、彼はどうも本気だったらしい。マイケル・ジャクソンとかの名前がでてきて、やつも最初はそうだったとか言っていたけど、いやぼくらとマイケルを比べられてもと思っていたし、多くのメンバーは妻帯者だったし、仕事も普通に持っていたしで、フィリピンでレコーディングということ事態があまりに現実的じゃなかった。
そうだった。ダイビング・ツアーの話だった。ツアーの全員が 8 人程度と言いたかっただけなのに、この辺りはいろいろなことがありすぎて、話が明後日の方向に逸れてしまう。ツアーの話に戻す。
とにかくこの日は水温が低かった。白浜や串本と同じようなつもりでいたら、なんですか、この水温は?裏スキンのウェットスーツを着ようと水の中に入ったら、10 秒もしないうちからジンジンと痺れて感覚がなくなるんですけど、って水温だった。10 度なかったんじゃないだろうか。
ぼくのバディの児島さんを除いてパウダーは嫌い派ばかりだった。便利なのわかるし寒い思いをしなくてもいいのもわかる。でも顔やらいろんなところが真っ白になるのが嫌だった。嫌だったけど水で着るのはやっぱり寒すぎた。ウェットスーツを着る段階でみんなもう潜るのが嫌になっていた。
ゴールデンウィークあたりの串本だと水温は 20 ℃くらいはある。5mm の裏スキンの上下であればまったく寒い思いをしなくても潜ることができる。何も考えずに同じような感覚でいたら、甘かった。
エントリーして、この日の目的の沈船まで移動して、戻ってエキジットする頃には全員震えが止まらなくなっていた。例外はロクハンを着ていた齋原さんと潜っていないパラオ人実業家だけ。パラオ帰りの名前を出せない彼女は震えながら「に、日本の海ってこんななの?」とか言っていたが、串本とかは 5mm の上下で充分温かい、同じ時期の日本海がこんなに寒いなんて、とがたがた震えながら答えていた。
水面休息時間を充分にとって全員の体温が回復してから齋原さんが、2 本目行きます?どうします?とニヤニヤ笑いながらこっちを向く。
行くという人は 1 人もいなかった。
ポイントの売りは、沖合にある沈船である。恐らくは魚礁にするために沈めれられたのだろう。沈船は竜骨しか残っていなかったが、大きな石がガンガンと乗せられていた。そうしないと木造船は沈んだりはしない。沈めるためには重りが必要なのだ。
結局この日、2 本目を潜る人は誰もおらず、齋原さんのクラブ時代によく寄ったり泊まったりしていたという宿のお風呂を使わせてもらって、回復してから帰阪した。
とにかく寒かった。
それでこのダイビングのダイブテーブルのデータなのだけれど、なぜ最大深度が -12m で潜水時間が 37 分なのに、ダイビング後の反復グループが E ではなく F なのか?という疑問が湧くかも知れない。だけれども思い出してほしいのだけど、低水温、呼吸数増大という条件の場合、ダイブテーブルを引くときは実際の潜水時間の次に大きな潜水時間で引かなければならない。つまりこのダイビングの場合は水深 -12m の 44 分 (37 分はこのマスに含まれる) ではなくて 53 分のマスで引かなければならない。つまり反復グループは F となる。
これは低水温と呼吸数の増大は減圧症リスクが高まるから、ということを理解しておく必要がある。大事なことは MDT を守り、浮上速度を守っていても減圧症に罹患する可能性が高まるということだ。このことも OW で学ぶ。思い出して欲しい。
たまにインストラクターなどでも、このことがスコーンと頭から消えていることがある。なので気をつけて欲しい。このあたりのことは今は詳しくは述べないけれどもダイブコンピュータの間違った利用の弊害だと考えている。
また、かりにこのダイビングで激しい運動を行った場合、たとえば激しく泳ぐなどではさらに厳しく、-12m ではなく -15m でダイブテーブルを引くことになり、41 分のマスではなく 48 分のマスで引く事になり、その場合の反復グクループは G となる。
つまり水中で激しく動くことも減圧症リスクを高めることを意味している。どうか気をつけて欲しい。