No.: 9
Location: 和歌山県串本町 田子の浦
Condition:
Date:
1987/08/14 (Fri)
Activity:
beach fun dive
 海況: おだやか
Temperature
Visibility
Bar.
Depth
Time
Instructor (or Dive Leader) Signature:
Air
Surf.
Btm.
Tank
Start
End
SAC
Ave.
Max.
Start
End
Btm.
Total
海恋 (AREN)
 
 
 
 
 
 
14
150
50
14.85
4.5
6
16:55
18:00
01:05
03:49
#8715 N.O.
m
m
m
bar
bar
ℓ/(barxmin)
m
m
 
 
 
 
 

 D 

 16:55 

EAN : %
PO2 :
MOD :
ERD :

 F 

 18:00 

PD     4.5m  

PD+   9.0m   

(a)MDT  378  

(a)MDT  172  

D  01:05   

STOP  00
RNT  63
ADT  65
TNT 128
Name Age Gender Bar. Note
Start End
児島さん (仮名) male OW I 講習からのバディ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

Notes:

この日 2 本目のビーチダイブ。エントリー直後からもはや水中は暗い。ほとんどサンセット・ダイブ。たしかエキジットしてからシートピアに戻ったら、もっと早く上がってくださいね、と注意された記憶がある。それは引率インストラクターの岡村さん (仮名) に言ってくれい、と思った。1 日のスケジュールはぼくたちが決めてるわけじゃなかったし。

なんでダイビング開始が遅いのか、今となってはわからない。いやまぁ 1 本目がそもそも遅かったから、水面休息時間を充分取ったらこの時間になったってだけだけなんだろうけど。お盆の時期だったからよかったけど、これが 10 月とかだと串本はエビ網漁の時期に突入する。エビ網を入れるから 15 時以降は串本のビーチポイントはエントリー禁止となる。エグジットも 15 時までに終わらせなければならない。

このことは現地のまだ数少ないダイビング・サービスと、現地と繋がりの強かったぼくの師匠となる S さん (以降まだ師匠でない時期であっても師匠と書くことにする。固有名詞だと思っていただければ) くらいしか知らない。なので大阪などの都市部からやってくるショップで、そのことを知らずに呑気に潜っていて、後から漁協からたいへんお叱りを受けるということも少なくなかった。シートピアで、注意してね、って言われてるはずなんだけど。

それで 3 人でエントリー。さっき述べたように夕方なのでやたらと暗い。

このダイビングで印象に残っているのが、指定されていたところを水面移動して潜降してから目に入った光景。

チョウチョウウオが群れている。でもなんだか様子がおかしい。

体が傷ついて弱っているように見える個体に、同じチョウチョウウオが群れていて、弱ったチョウチョウウオの体をつっつきまくっている。

もしかして、食われてる?同じ種類の魚に?

エグジットしてから岡村さんに訊ねてみる。

食われてたんじゃない?と岡村さん。なんか適当に言ってそうな感じ。

シートピアのスタッフにも訊いてみる。わかんないという返事。

その後、大阪に戻ってからもいろいろ調べてみたけど、あの集団ツッツキ事件がなんだったのかわからないままになっている。

当時ナイトダイビングをする人は串本にはいなかったので、この日の浮上時間が 18 時というのは、わけのわからない時間だった。オレンジハウスの創業が 1987 年なので、もしかするとオレンジ前でナイトをする人はいたかもしれないけれど、このときはオレンジハウスの前は車で通り過ぎるだけだったので、オレンジハウスの存在に気づいていなかった。NAUI 系のショップはどこもシートピアを使っていた。

シートピアでエグジット時間の遅さを注意されたのは引率インストラクターの岡村さんではなく、ぼくだった。なんでぼくに?と思うのけれど、なぜか注意される対象になったぼくが謝っていた。

しかも宿で他のショップさんのお客さんに、インストラクターさんですか?とか言われるし。OW I 取り立ての人間を、なんでそう思う?と思った。どう見ても岡村さんのほうが歳上だし、落ち着きがあるし、なんでぼくを間違える?って思ってた。まだ 20 代なのに、そんなに老けて見える?って思った。3 人で一番若かったのに。