A
13:20
EAN : | % |
PO2 : | |
MOD : | |
ERD : |
F
14:40
PD 4m
PD+ 9m
(a)MDT 434
(a)MDT 205
D 01:20
STOP | 00:00 |
RNT | 00:27 |
ADT | 01:20 |
TNT | 01:47 |
Name | Age | Gender | Bar. | Note | |
---|---|---|---|---|---|
Start | End | ||||
児島さん (仮名) | male | OW I 講習からのバディ | |||
Notes:
OW I の講習を終えたばかりのぼくと児島さんの実質的な初めてのファンダイブ。そう言っていいよね?いいよね?しかし前回のダイビングはいったいなんだったのか。
スタイルはビーチダイブ。
下の画像は 2025/08/10 時点での Google ストリートビューでの田子の浦の画像になる。
42 号線のカーブの先に 2 階建ての茶色い建物が見える。ここは当時、ドライブインになっていて、食事をしたり、お土産を買ったりできるようになっていた。現在はただの廃墟だ。
コンクリートの桟橋が見えるけれど、昔は 1 隻の漁船が停泊していた。そしてここからすぐ前の岩礁に 1 人のご老体がエビ網を入れたり、沿岸での漁に精を出されていた。将来のぼくの師匠になる S さんと顔見知りで、後にいろいろ懇意にしていただいた。船から何度もスクーバ・ベイルアウトの練習をさせていただいたり。懇意にしていただけるようになってからは田子の船長と呼んでいた。
この桟橋を使っていたのは田子の船長お一人だけだった。今はその漁船ももう見ることができない。当時かなりお年を召していたこともあり、さすがに鬼籍に入っておられると思う。現在船が見られないことから、後を継がれる方はいらっしゃらなかったのだろう。今の眺めを見ると、かつて多くのダイバーがここでダイビングを楽しんでいたことが信じられず、一抹の寂しさを感じざるを得ない。
あ、ほんとに寂しくて泣きそう。
それは置いておいて、一応ポイントの説明を。
桟橋の少しカメラ寄りに今はだれも使うことがないコンクリートのスロープがある。ダイバーはみんなそのスロープからエントリーしてエグジットしていた。でもそのスロープはもともとダイバーの便宜のために設けられたものではない。田子の船長が船のメンテナンスや台風のときの船の避難のために陸に上げるときに、そのスロープに船を置くためのスロープだった。なので船を載せるための台になるでかい木材と、船を固定するためのロープや、船を陸に挙げるための滑車などが置かれていた。
当時田子の船長は毎日何度か漁のために船を出すのが普通だったので、ダイバーはスロープから沖の根まで水面移動で泳ぐように指示されていた。そうでないと船長の船のペラに巻かれてしまう事故になるから。ペラに巻かれると肉片になっちゃうからね (*ノω・*)テヘ
なので田子の浦で潜るときは、当時のシートピア串本でここの根は潜っていいけど、こっちは危ないから行かないでね、とか説明されていた。
田子の浦のポイントはエントリーポイントのスロープから 6, 70m ほど水面移動先した先の根の周囲だった。
田子の浦のポイントの特徴は、とにかく穏やか。台風が来てても潜れるくらい穏やか。そしてサンゴの群落。ぼくと K さんは、この日初めて生サンゴを見ることに。魚はカゴカキダイやチョウチョウウオやらいろいろいた。
大阪だと水族館でしか見れないので嬉しそうにシートピアでこんなん見ました、とか言ったら、そんなのどこにでもおるよ、とぶっきらぼうに言われてションボリしたのは良い思い出……良くねーわ、最悪の思い出。NAUI インストラクターの印象が一気に悪くなったのはこいつらのせい。
でもデータを見たら 1 時間半近く潜ってるので、田子の浦でそんな長時間潜って何をやっていたのか。何をやっていたのかぜんぜん記憶にない。そもそもスタートが 13:20 とやたらと遅い。午前中何をしてたんだろう?今となっては謎。
田子の浦の沖合に双島が見えている。陸側から見て沖側に今ではメジャーな外洋ポイントとなっている 1 の根、2 の根がある。ただこの頃は双島沖までは、たぶんボートは出ていない。おそらくもう少し西にある浅地や下浅地も、まだ人が入っていない頃。たぶんだけど。もちろん南紀シーマンズクラブなんて陰も形もない頃。