14:20
EAN : | % |
PO2 : | |
MOD : | |
ERD : |
C
15:08
PD 6m
PD+ 9m
(a)MDT 461
(a)MDT 223
D 00:48
STOP | 00:00 |
RNT | 00:00 |
ADT | 00:48 |
TNT | 00:48 |
Name | Age | Gender | Bar. | Note | |
---|---|---|---|---|---|
Start | End | ||||
児島さん (仮名) | male | OW I 講習からのバディ | |||
吉島さん (仮名) | male | OW I 最終日の人 | |||
Notes:
オープンウォーターの講習を終えたばかりのぼくと児島さん (仮名) の初めてのファンダイブ。スタイルはビーチダイブ。
本当はこの日のうちに串本まで行く予定だった。そして串本で 1 本潜って今日は終了という予定だった。そう聞いていた。
大阪市内の店舗の前を車が出たのは朝 8 時。けっしてのんびりスタートしたわけじゃなかった。でもお盆だった。大阪から大挙して南紀に海水浴目的で車を走らせる人が押し寄せていた。もちろんぼくらもそのお仲間。道路が大渋滞で海南の手前に差し掛かったときにはもう 13 時をまわっていた。大阪を出発した車はすでに 5 時間以上走っていた。いや車は走ってるのか止まってるのかいったいどっちだ?それくらい渋滞で動かなかった。
当時阪和道はごく一部しか開通していなくて、阪神高速の堺出口をでると岬町までひたすら下道。高速が存在しないのだから下道という言い方も変なのだけど、岬町からでないと阪和道は存在しなかった。それだけでなく和歌山から先は海南湯浅道路という名前になっていて、そもそも阪和道とは別の道路だった。しかも高速道路ではなく阪神高速と同じく 60km 規制の自動車専用道路に過ぎなかった。その後海南湯浅道路は阪和道に組み込まれて高速道路となるけれど、それはまだずっと先のことだった。ぶっちゃけこの時代、大阪と和歌山を結ぶ高速道路は、岬町・湯浅町間を除いて存在していなかった。大阪市内から串本まで車でスムースに走れて 5 時間半かかる時代だった。
このままどう頑張って走っても、いや止まっても串本に着く頃にはおそらく日が暮れている。
インストラクターの岡村さん (仮名) が険しい顔をして、相談があるとぼくと児島さんに言う。吉島さんの講習を今日終えないといけない。でもこの渋滞ではとても串本にたどり着けない。この付近で潜れるところがあるので、そこでまず吉島さんの講習を終えたいのだけれどいいか?と訊ねられる。
ぼくも児島さんも右も左もわからない OW I を取り立てのダイバーだったので、いいですよ、と返答する。だってそうでないと吉島さんの講習が終わらない。吉島さんはスケジュール的に今日しかないと聞いていたので、ダメとは言えなかった。
そもそもぼくも児島さんも串本の海がどんなところなのか、全然知らない。白浜の円月島であれば OW I の講習が行われた場所なのでどんなところかわかる。でも串本はまだ未知の海だった。なので何が何でも串本でとは思っていなかった。そもそもダイビングというもので、どんな体験ができるのかということすら、OW I の講習しか経験がないのでさっぱりわかっていなかった。
車が東亜燃料というゲートをくぐる。岡村さんが立っている警備員さんに、いつもお世話になっています、〇〇潜水です、敷地の西でちょっと潜らせてもらえますか、などと店の名前と異なる名前で挨拶する。工事の方の会社名だった。
ゲートをくぐると、そこはどう見ても埋立地。あまり整地されていないボコボコの埋立地を車は上下にガンガン揺れながら海岸に向かう。14リットルのスチールタンクが後ろでガンガン音を立てている。そういえばさっき岡村さん、道中で、車の中でタンクが破裂したらどうなるか、って話をしてなかったっけ、と冷や汗が流れる。
14 リットルのちょっと部分的に錆びたタンクが破裂することもなく、車はビーチ?ビーチなのか?ここは?白浜の円月島とは似ても似つかない埋立地の外れに着いた。機材の準備をし、ぼくと児島さんはバディ・チェックをして、4 人でぞろぞろと海に入っていった。
海はというと透視度はおそらく 10m もない。汚くはなかったけれど綺麗でもなかった。海底は砂礫地でとくに見るべきものはなにもなかった。たまにキュウセンがやってくるくらいで、魚も見当たらない。
岡村さんは吉島さんの OW I の仕上げのスキルの仕上げをやっている。ぼくと児島さんは手持ちぶたさで暇にしていた。だって周囲に何もないし何もいなかった。ぼくは暇すぎて 1 匹だけみつけたヒトデをひっくり返しては、ヒトデが自力で元通りに口側を下にするのを眺めていた。ひたすらそれだけを繰り返していた。暇だった。
よく、こんなはずじゃなかった、という言葉を人は口にする。でもぼくも児島さんも、こんなはずの、こんな、のイメージがそもそもなかった。なのでぼくも児島さんも、自分たちが今何をやっているのかもさっぱりわからずに、ただずっとヒトデとキュウセンを眺めていた。
これがぼくと児島さんの、記念すべき初めてのファンダイブだった。今から考えるとファンダイブと呼んでいいのかさえわからない、わけのわからないダイビングだった。なんだかわけがわからないまま、この日の生まれて初めてのファンダイブは終了した。
渋滞に巻き込まれた車が串本の宿に着いたときには、もう夜中だった。
これがぼくと児島さんの記念すべき人生初のファンダイビング初日だった。