この動画を取り上げたいと思います。思わざるを得ませんでした。
なぜか。それは引率者 (動画投稿者の方がインストラクターと書かれているので以後インストラクターと書きます) がゲストのことを、まったく見れていないからです。でもそれは、かつてぼくが通ってきた道です。諸先輩方からさんざんシミュレーションが足りない、陸の準備が足りてない、グループコントロールができていない、そもそもゲストをまったく見ていない、とまるで無限モグラ叩きのように厳しく指摘されて指導されていたのと同じ道です。
こういったときにどうすればよかったのか、ぼくがさんざん先輩方からお叱りを受け、指導されてきたことをまとめます。これは明らかに強めのヒヤリハット案件なので、ぼくたちはプロとしてこの事案から学ばなければなりません。
この動画を見始めてすぐにこのゲストは深くて大きな普通の呼吸がまったくできていない、ということに気が付きます。
人間は換気が充分にできていないと、体内に二酸化炭素が蓄積されていきます。脳が息苦しいと感じるのは酸素の量ではなく、二酸化炭素の量に反応するからです。二酸化炭素が充分に排出されないと当然息苦しくなっていきます。放置すればその苦しさからパニックになることは OW でも学びます。パニックは致命的なトラブルですから、呼吸の乱れを見逃さないことはとても重要です。
経験をまだ充分に積めていない初心者の方なら (カードランクも経験本数も関係ありません) このような不十分な呼吸になるのは日常的なことです。なにも特別なことではありません。
また人間は自分自身の呼吸の乱れに気が付けません。この動画にコメントしてる人の多くが呼吸が最初から乱れていると指摘していることからわかるように、本人ではない第三者であれば、気がつくことができます。ですが、わたしたち人間というものは、呼吸という日常的に無意識に行っていることを、普段無意識にしているからこそ、それが必要だからといって急に常に意識化するということはできません。
これは人間が陸生動物だからです。呼吸を意識化するには、やはり座学での学習と実際に海で意識化するという練習が必要です。練習ですから繰り返しによる熟練が必要です。
陸上で激しい運動をした場合でも呼吸が苦しくなりますが、気がつくのは苦しいというサインを脳が受け取ってからになります。つまり苦しくなるまで本人は気が付くことができません。水中で苦しくなっていることに本人が気がつくのは、動画投稿者のようにパニックに陥る直前になります。
致命的な事故が起きようとしているわけですから、いち早く第三者が気がついてあげる必要があります。そのためのバディ・システムであり、そのためのぼくらのような職業の人間がいます。ぼくたちはゲストがパニックになる遥か以前に介入しなければなりません。介入のためにはゲストの状態がおかしいことにいち早く気がつく必要があります。
動画を見れば水温が低いというのはわかります。ドライスーツで潜ってらっしゃいますし、クリスマスツリーが見えることから、クリスマスの時期でしょうし、低水温であるということがわかります。低水温はダイバーの無視できない大きなストレスになるということは知られています。経験が浅く低水温に慣れていないゲストならなおさらです。またドライスーツというのも、操作しなければならないものが一気に増えるので、慣れないゲストであればかなり負担になり、それも大きなストレスになります。
そんな要因があって動画の最初から、彼女の呼吸パターンは浅くてとても速いものになっている、そのように推察されます。ですがインストラクターが彼女の呼吸の乱れに気づいている素振りが動画内でまったく見ることができません。もしかしたらインストラクターとしての経験値が不足していたのかも知れませんし、良い指導者に恵まれなかったのかも知れませんし、良い指導者に恵まれていたけれども指導者から発せられるメッセージを受け止めきれていなかったのかも知れません。あるいは単に他のゲストのほうが危険性があると、そちらに注意がフォーカスされすぎてたいのかも知れません。その辺りは動画の内容だけではわかりません。
ただ動画の見ようによっては、ゲストの呼吸の乱れを一切気にしてないようにも見えてしまいます。現場でたとえばアシストに入っているとかでないとわからないのですけれども。アシスタントがついているのであれば、そういった安全管理はアシスタントにまかせる、という運用もあり得るので、その場合はインストラクターの失敗ではなくアシスタントの失敗ということになります。
ただ動画にはアシスタントらしき人は一度も出てこないので、恐らくはインストラクターお一人が引率されていたのではと推察されます。もしバディが自分のバディの異常に気がついていないのであれば (これもよくあることです。ですがこれこそがぼくを含めた日本人ダイバーのすべての病根だと思っています)、最悪の事態を避けるために引率インストラクターが気が付かなければなりません。
動画ではすでにそのような呼吸のトラブルに見舞われているゲストから、インストラクターは何メートルも離れてガイディングを続けています。
ツリーのところに来ても、写真を撮るからツリーのところに行け、と指示を出しています。動画を見る限り、アシスタントはいなさそうです。ゲストの呼吸パターンから安全上のリスクがかなり強いことが了解されます。それでもやはりインストラクターがそれに気づいている素振りを見ることができません。
最初から呼吸上の問題を抱えているゲストを放置して、何メートルも離れて目を離して他のゲストを案内している。先にやるべきことがあるのに、それをやっていない。そのように見受けられます。
動画を見る限り、エグジット後インストラクターに笑顔が見られません。それは当然なのですが、彼が自分の失敗に気づいているのかどうかは、動画の画面からは読み取れません。
ぼくたちの仕事は、そもそもゲストがこのような状態になる前に、それを潰すための行動をする、そしてゲストが怖い思いをすること無く成長できる、それをお手伝いするのがぼくらの仕事です。そうでなければぼくらが存在する価値はまったくありません。
ゲストの呼吸が早くて浅い。そんな初歩的な見守りができないというのは、ぼくらには許されません。見逃してはいけない非常にわかりやすいゲストの高リスク状態を見逃している。これはぼくたちが決してやってはいけないことです。
この動画でゲストは 1 本目のときはなんともなかった、と明記されています。ですがそれは本当でしょうか?ぼくたちから見ると、そうではなかったはずです。少なくともこの 2 本目のダイビングの前に、なんらかの兆候は見られたはずです。
普段快活な人がいやに静か、あるいは普段おとなしい方がなぜか饒舌、あるいは正直になにか不安感を感じるとおっしゃる、具合があまり良くないとおっしゃる、正直に寒いとおっしゃる、理由は分からなくても顔色が悪い、その他いろいろ示されていたはずです。
そのような予兆を感じさせていなかったとしても、ダイビング中にゲストにほとんど注意を払っていないことからわかるように、ゲストにトラブルが発生しうるということを、まったく考えていない、あるいはまったく想定できずにいたということは明確です。
動画投稿者の方は、穏やかな海で自分がこのようにコントロール不能になるとは思っていなかったと反省されています。すごく頑張ってらっしゃるなと思います。このセリフを言える、そしてこのトラウマになるような出来事をしっかりと振り返ることができるということは、プロとしてではなく同じ 1 ダイバーとして、いや、1 人の人間としてとても尊敬します。自分の外に原因を求める日本人同胞が大半である中、これは誰にでもできることではありません。このような人はトラウマを乗り越えると、とても強く安全なダイバーになられます。
ですがぼくらが引率したりアシストするということは、このような反省を促すことではありません。このような反省を一切口にするようなことを経験すること無く、安全に潜れるダイバーになっていただく、それをお手伝いするのがぼくらの使命のはずです。
結果論なのかもしれませんが、想定がまったく足りていなかった。シミュレーションがまったくできていなかった。このゲストのことをまったく理解できていなかった。そのようにかつてぼくがアシスタント・インストラクターやダイブマスターのトレーニングコースや認定後の仕事の中で、嫌というほど毎日指摘され、怒鳴られ続けてきたことを、このインストラクターがやっているように見受けられます。
それでは、このようなゲストがいらっしゃったときに、ぼくらはどうすればいいのでしょうか?それを整理していきます。
ダイビング前から、そのゲストに対する理解を深めておくことは、とても重要です。特にそのゲストが何が苦手か、これまでなにか怖い経験をしてトラウマになってることがないか、怖いと感じたダイビングはなかったか、機材の扱いに充分なれていらっしゃるか、これから潜ろうとする海況に充分適応されているか、その他ゲストに対する様々な理解を持っておくことはとても重要です。これらの理解がないと、ゲストの異変に気が付きにくくなります。
ゲストが普段と違っておとなしすぎないか、逆に饒舌ではないか、食欲がなさすぎないか、1 本目の後にボートに酔っていたりしないか、不安などを口にされていないか、その他具合が悪そうなところはないか、ブリーフィング中に必要以上に緊張した表情をされていないか、その他思いつけること全てをツアーが終了するまで観察し続けなければなりません。
それが量的にできない場合、躊躇せずにアシスタントを入れてください。アシスタントとの打ち合わせという仕事が増えますが、安全管理の厚みがぐっと増えます。また打ち合わせによりゲストの今の状態を再確認できます。ゲストへの理解もより深まります。
ダイビング前にアシスタントに、あのゲストさん、今日は重点的に気をつけてあげてな、とたった一言声をかけるだけで、アシスタントは格段に動きやすくなります。アシスタントも万能ではありませんから、アシスタントとしてはそのような一言がすごく助かります。
もしアシスタントを入れてもチーム・コントロールの厚みが増えてないと思えるなら、そのときはアシスタントを適任者に交代させてください。アシスタントはファンダイバーではありません。アシスタントとしての任務が遂行できないなら代えてかまいません。そのように雇用者に要請してください。あいつは使い物にならないとはっきりおっしゃってもかまいません。
アシスタントは傷つくかも知れませんが、ゲストの安全のほうがよっぽど重要です。アシスタントが傷ついたような顔をしていたら、逆にお前は仕事をしていないと叱り飛ばすべきです。理不尽さはかけらもないのですから説教していいケースです。
ベテランの人とバディを組んでもらうなどの適切なバディ・チームの編成を、可能な限り行う必要があります。
具体的にどうすればいいのかを述べるのは非常に難しいのですが、このような編成であれば、ゲスト全員のストレスの緩和につながる、安全につながると信じることができるバディ編成を考えなければなりません。
そのためにはやはりゲスト1人1人への理解を深める必要があります。
ダイビング中は、これがもっとも重要です。
動画の中では最初からゲストの呼吸が乱れています。ですからダイビングのもっと早い段階で全員を着底させて、全員を落ち着けるようにします。
深い呼吸をするようにハンドサインで促します。指示に従っていただけない場合はせんせいなどを使って呼吸が乱れていることをしっかりとお伝えして、大きく深い呼吸をするように指示してください。ハンドサインより言葉のほうが、強く確実に伝わります。
必要であればバディ同士で手をつなぐようにハンドサインで指示してください。
なぜ着底させて、深くて大きな呼吸をさせるのか思い出してください。
息苦しさは酸素の不足ではなく、二酸化炭素の蓄積で起こります。二酸化炭素の蓄積により息苦しさが進むと、更に呼吸は浅く早くなり、ますます二酸化炭素が蓄積し、さらには動画投稿者の場合のように、脳が酸素が足りないと誤認して、空気を吐くことなく吸い続けようとするように呼吸パターンが変化してしまいます。
息は吐かないと吸えませんから、やがて本当に空気を吸えなくなってしまいます。これ以上肺に空気が入らないのに、さらに肺に空気を入れようと脳がそのように働きはじめます。呼吸にならないのですから、これは非常に危険です。
わたしたちは即時にメジャー介入しなければなりません。ゲストが通常の呼吸を再獲得できるように支援しなければなりません。
なぜ着底させて大きく深い呼吸をさせるのか大事なことなのでもう一度繰り返します。
酸素をゲストの血液中に増やすのが目的ではありません。最大の目的は体内に蓄積されて、脳がバグる原因になっている二酸化炭素を排出させることが目的でした。体内に蓄積された二酸化炭素を排出してもらえなければ何をしても無駄です。全員で即時に浮上しなければなりません。
そのことでクレームを入れるゲストも居るでしょう。あなたは必要以上にショップオーナーに叱責されたり、ショップ内での立場が悪くなることもあるかもしれません。
ですが、あなたが引率しているときに、パニックになったゲストに亡くなられるより遥かにマシです。引率ゲストに亡くなられたら、本当に人生が終わります。残りの人生をゲストを死なせたインストラクターという十字架を背負って生きていかなければなりません。
ですからゲストに着底してもらってアイコンタクトを取り、時折ハンドサインで大丈夫なのか確認しながら、ゲストの呼吸が落ち着いて、通常の呼吸に戻るまでひたすら待って上げてください。手をつなぐことでゲストが落ち着くのなら手をつないでもかまいません。難しいことは何もありません。必要なのはただ一つ。とにかく早く気づいてあげる、そしていち早く対処する、ただそれだけです。
行動は全ダイバーの呼吸が落ち着いてから移動を再開してください。呼吸が落ち着かないゲストがいるときは、移動を再開してはいけません。即時に近づいてアイコンタクトを取りながら支援してあげてください。それだけで後の展開が変わります。
なぜこのようなことをしてグズグズしているのかとおっしゃるゲストは必ずでてきます。ですが何をしていたのかはデブリーフィングで説明すればいいだけのことです。ぼくらがゲストの何に注意しながら案内しているのか伝えてください。
そしてダイビングするときは、たとえフォーメーション・システムを採っていても、わたしたちがやっていることをバティに対してやってください、と促してください。それがバディ・システムですと伝えてください。形だけのバディは意味がないと伝えてください。
それを伝えなければわたしたちがツアーを企画して実行している意味がありません。それをやらなければわたしたちの存在価値は紙切れの重さほどもありません。
わたしたちはダイビング中にずっとゲストの方を向いているわけにはいきません。やはり何か見るべきものを探して見ていただいて楽しんでいただくのが最大の仕事の目的の一つでもあります。
ですから、実際にはゲストから目を離している時間のほうが圧倒的に多くなります。ですが目視していないからといってゲストの異変に気づけないようでは困ります。
なのでぼくたちはゲストの呼吸音を気にしています。ゲストの皆さんの呼吸音に違和感を感じた時、ゲストの方を向きます。目視して異常がないか確認します。そして通常とは異なるゲストを見つけたら、全員を止めてそのゲストに近寄って行って、アイコンタクトを取りながら支援します。
それをいつもの通り継続してください。
人間というのは目が 2 つしかありません。これは当たり前のことですが、このことはグループ全体の安全管理上大きなリスクであると理解しなければなりません。
だからといって人間に改造をほどこして、後頭部にも目をつけるということは現代医学を持ってしてもできません。でもゲストを見守る目を増やすことはできます。
アシスタントを導入してください。多少出来の悪いアシスタントでも役に立ちます。ほとんどが零細経営であるショップの経営を圧迫することになりますが、ゲストの安全と引き換えることはできません。経営者に交渉してください。
それが結果的にゲストを守り、あなた自身を守り、そしてショップをも守ります。
最後に
ぼくはよくファンダイバーの方々に基本に立ち返りましょうと声をかけます。基本を守っていれば経験することがないトラブルをたくさん経験されているからです。
ですけれども、ゲストの皆さんはそう簡単に基本通りに行動しましょうと言っても、それはやはりそれぞれのゲスト固有の理由で一朝一夕には身につけることは難しい。ゲストはぼくたちの助けを必要としています。
そして基本に立ち返らなければならないのは、なにもゲストだけではありません。わたしたちインストラクター、ダイブマスター、アシスタント・インストラクターであっても、それはなんら変わりません。
基本という言葉の意味は、たしかにゲストより大きく深くなっているかもしれません。ですけれども基本であることにはなんら変わりはありません。ぼくたちが注意を払い、準備する事柄は、ファンダイバーがバディに対して払う注意、準備の延長線上にあります。
基本を守るということはとても大事です。
ぼくがアシスタント・インストラクターだったのはすでに遠い過去です。ですけれども、すでにアシスタント・インストラクターでなくなった今でも、何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも、皆さんのために強く繰り返します。
基本に立ち返りましょう!!
基本に立ち返ることは、だれにでもできます!!
難しいことはありません!!基本に何度でも立ち返りましょう!!